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2015年1月 9日 (金)

心理学と自文化中心主義:批判健康心理学の可能性

 健康心理学は臨床心理学などと比べて,日本ではあまり盛んではありません.
 しかし,身体は心的現象の基礎であり,身体の健康や疾病や身体をめぐる主観性は心理学のおもな関心事のひとつです.

 健康心理学はおもに身体の疾病からの回復や予防,健康の増進など,健康に関する幅広い主題を扱っています.
 ひとが自分の健康に関心をもち,健康のために考え感じ行動するのは自然なことです.この過程は心理学の重要な研究テーマです.

 また,健康は「あるべき健康な生活」といった規範の下で公的な眼差しを向けられ,規制の対象となりやすいものです.
 「健康とは何か」,「健康のために何をすべきか(すべきでないか)」という社会的規範に従わせるパワー(権力)が作動し,規範にそぐわない人々を抑圧したり疎外することもあります.

 健康心理学の登場と発展は学問外部からのさまざまな刺激や影響のもとで進行しました.
 アメリカなどで1970年代に医療支出が急増したため,これを抑制しようとする保健行政や医療界などの諸セクターのニーズも健康心理学の発展を後押ししました.
 また,1980年代に多くの国でエイズが大きな社会問題になりました.アメリカやイギリスの健康心理学者もこの問題に取り組み,HIVへの感染の予防のために人々の行動を変容することが研究テーマの一つになりました.

 このように健康という目標のために,個人の食行動や運動習慣,喫煙,飲酒,性行動などを当該の個人の心的過程へ介入して変容することが主流健康心理学のアプローチの基本です.
 欧米で始まった健康心理学が,認知行動主義にもとづく既存の社会心理学や臨床心理学に多くを負っていることがうかがえます.

 WHOは「万人の健康を実現する」という目標を掲げています.
 日本を含む北側の先進国の心理学者は自分の身近にある問題に関心を向けがちです.
 しかし自分や身近な人だけでなく,すべての人々の健康や幸福を目指す目標が尊いものであることは言うまでもありません.

 こうした立場にたつ健康心理学者は,南側の発展途上国で貧困や激しい格差のために疾病や不健康に苦しむ人々の困難な経験に直面することになりました.
 膨大な数の人々が安全で衛生的な最低限度の生活環境や医療を欠くために悲惨な生活を強いられている現実を,中流階級に属する心理学者が自分の問題として考えることができるでしょうか?
 先進国の心理学者が自文化中心主義を越えられるか,注目されています.

 また,北側の先進国の内部でも経済的格差が拡大し,貧困に苦しむ人が増えています.日本でも非正規雇用の増加や,女性や子どもの貧困が大きな問題になっています.

 心理学は「人間一般の心理学」を標榜していますが,実際には「男性の,白人の,中流階級出身者の,異性愛者の心理学」ではないか,という指摘もあります.
 つまり心理学を主導する人々が社会の主流に属しているため,その価値観や考え方を反映した心理学が構築されてきた側面にも目を向けるべきだ,という指摘です.

 貧困や格差に苦しむ人が身近にいるときに,心理学がこの問題に取り組むことができるでしょうか.
 自文化中心主義から一歩進んで,ここでは自己中心主義を越えられるかどうかが問われています.
 心理学者はたいていの場合は貧困層に属していないため,困窮する人に共感しその立場を擁護することが大切だとは考えない傾向が認められます.

 上記の問題は批判健康心理学の主題に含まれています.
 残念ながら今日までのところ,日本ではあまり知られていませんが,1990年代後半から上記の立場から健康心理学に取り組む心理学者があらわれました.
 批判健康心理学は心理学者の倫理観やリフレキシビティを問うさまざまな課題を提示してくれます.

 下記の本をお薦めします. 
 Michael Murray (編) Critical Health PsychologyPalgrave Macmillan; 2版 (2014)

以下,目次をお示しします.
 Introducing Critical Health Psychology; Michael Murray

 PART I: CONSTRUCTING AND EXPERIENCING HEALTH AND ILLNESS
 1. A Critical History of Health Psychology and its Relationship to Biomedicine; Henderikus J. Stam
 2. The Need for an "Embodied-Societal-Psychological" (ESP) Model of Illness Experience; Marie Santiago Delefosse
 3. Health and Illness: A Hermeneutical Phenomenological Approach; Robert Kugelmann
 4. Suffering; Alan Radley

 PART II: HEALTH AND ILLNESS IN CONTEXT
 5. Deconstructing and Addressing Health Disparities to Build Health Equity; Magdalene Szaflarski and Lisa M. Vaughn
 6. Gender and Sexuality Issues in Health Psychology: Challenges from Feminist and Queer Perspectives; Katherine Johnson
 7. Culture, Empowerment and Health; Malcolm MacLachlan
 8. Critical Approaches to Ageing and Health; Christine Stephens

 PART III: RESEARCHING HEALTH AND ILLNESS
 9. Reflexivity: Fostering Research Quality, Ethicality, Criticality and Creativity; Kerry Chamberlain
 10. Qualitative Research as Social Transformation; Uwe Flick
 11. Discourse Analysis and Health Psychology; Carla Willig
 12. Using Action Research Methodologies to Address Community Health Issues; Mary Brydon-Miller

 PART IV: PROMOTING HEALTH AND WELLBEING
 13. Promoting Health through Narrative Practice; Anneke Sools and Michael Murray
 14. Health Psychology and Community Action; Catherine Campbell
 15. Critical Disability Studies and Critical Health Psychology: Comrades in Arms?; Dan Goodley and Katherine Runswick Cole
 16. Critical Anthropology for Global Health: What Can it Contribute to Critical Public Health?; Mark Nichter and Melanie Medeiros

          Critical Health Psychology

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