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2015年2月

2015年2月20日 (金)

批判心理学のシンポジウム :発達心理学会第26回大会

 発達心理学会第26回大会において,批判心理学研究会によってふたつのシンポジウムが開催されました.
 話題提供をもとに活発な議論が行われ,
有意義な知見を得ることができました.

 ひとつめの「『発達心理学の脱構築』の射程:フェミニスト心理学,批判心理学,ディスコース分析」では,イギリスのフェミニスト心理学者がこの20年間に心理学(方法論や哲学,教育など)と現実の社会(子どもや女性やマイノリティの擁護)において達成した仕事を振り返り,日本における批判心理学的アプローチの可能性を論じました.
 話題提供者の報告に対して,指定討論者から多くの意見をいただきました.その中で,同書が性的マイノリティとしてゲイとレズビアンにしか言及していないことが指摘されました.
 性的マイノリティのあり方は,もっとずっと多様です.
マイノリティを支援する見地に立つ同書がこれを認知していないとすれば,様々な抑圧や差別のために苦む当事者をディスエンパワーしてしまう恐れはないか,という意見です.異性愛者に比べて自殺の危険性が数倍も高く,QOLが著しく低いなど過酷な現実を変える取り組みが必要とされています.
 バーマン先生は今,同書の改訂版を執筆中です.上記の日本の心理学者の見解をお伝えしました.

 ふたつめの「心理学における新しい流れ 2:『主体科学としての批判心理学』を読む」では,難解なことで知られるホルツカンプの理論を読み解きました.
 話題提供に続いてフロアから活発に質問や意見が出され,ドイツ批判心理学(ベルリン学派)について理解を深めることができました.「主体」や「主体の立場からの心理学」というアプローチの意義や専門用語の概念について私も多くを学びました.
 ホルツカンプ英訳論文選集の刊行によって,ドイツ批判心理学は世界各地で再評価されつつあります.日本の心理学にも多くの刺激を与えてくれることでしょう.

 ふたつのシンポジウムに,予想した以上に多くの方にご参加いただきました.
 どうもありがとうございました.
 (2015.3.23.)  

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 発達心理学会第26回大会(3月20-22日)にて,批判心理学研究会により下記の2つのシンポジウムが開催されることになりましたので,お知らせいたします.
 会場は東京大学本郷キャンパスです.

ラウンドテーブル 「『発達心理学の脱構築』の射程」
3月21日(土)  3:00 PM-5:00 PM  講義室233 (工学部2号館)
企画者:五十嵐 靖博/批判心理学研究会
話題提供1:五十嵐 靖博(山野美容芸術短期大学) 
理論心理学の立場からみた『発達心理学の脱構築』
話題提供2:青野 篤子(福山大学) 
フェミニスト心理学からみた『発達心理学の脱構築』
指定討論:柘植 道子(一橋大学)
指定討論:尾見 康博(山梨大学)
指定討論:根ヶ山 光一(早稲田大学)
司会:杉田 明宏(大東文化大学)

企画趣旨:
 イギリスの発達心理学者Erica Burmanの著書‘Deconstructing Developmental Psychology’(1994年に初版,2007年に第2版,Routledge)は20年にわたり諸国で発達心理学やフェミニスト心理学や批判心理学に取り組む研究者に大きな影響を与えてきた.
 Burmanは同書において発達心理学の研究対象や研究方法や理論を歴史的に再構成し,政治経済や行政,軍事などの外的諸要因が発達心理学というディシプリンのあり方に影響を与える様態を明らかにした.ディスコース分析などの新しい方法論を創出し,質的研究を行って女性や子どもなどの立場を擁護する心理学実践がその基礎にある.
 本ラウンドテーブルでは同書の邦訳『発達心理学の脱構築』(ミネルヴァ書房,2012)に携わった心理学者が,発達心理学や社会心理学,理論心理学,批判心理学の視点からその意義と日本における可能性を考察する.


ラウンドテーブル 「心理学における新しい流れ 2:『主体科学としての批判心理学』を読む」
3月22日(日) 9:30 AM-11:30 AM  講義室242 (工学部2号館)
企画者:百合草 禎二/批判心理学研究会

ファシリテーター:
白井 利明(大阪教育大学)
話題提供1:五十嵐 靖博(山野美容芸術短期大学)
話題提供2:大久保 智生(香川大学)
話題提供3: 岡花 祈一郎(福岡女学院大学)
話題提供4:百合草 禎二(常葉大学)

企画趣旨:
 ドイツ批判心理学を主導したクラウス・ホルツカンプの論文の英訳選集が刊行され(Ernst Schraube,Ute Osterkamp(ed.),Psychology from the Standpoint of the Subject,selected writing of Klaus Holzkamp, 2013, Palgrave),各国でその仕事を再評価する機運が高まっている.
 本ラウンドテーブルでは話題提供者がそれぞれ一本の論文を報告し指定討論を踏まえて,ホルツカンプが構想し推進した新しい心理学について理解を深めたい.

2015年2月15日 (日)

心理学者の主観性と3.11後の心理学: ドキュメンタリー映画 『311』 森 達也(他)監督,2011

 学問であれ芸術であれビジネスであれ,既存の枠組みを超える創造的な活動が培われる出立点は,その人の主観性(subjectivity)です.

 第二次大戦後に世界の心理学を主導してきたアメリカ心理学は,19世紀末に当地に根を下ろし始めたころから ‘science’ への強い志向を特徴としていました.これは哲学を重んじていたドイツ心理学とは異なる特徴です.
 ここから古典物理学(量子物理学ではありません)をモデルとして,「自然科学としての心理学」を目指す心理学観が生まれ,流布しました.

 「客観的な自然科学としての心理学」を理想とするなら,研究者や被験者(研究参加者)の主観性が統制され排除されるべき欠点と見なされるのは,ある意味で当然です.
 心について様々な考え方がありますから,混乱を避けるために一見して分かりやすい「科学」の立場が選ばれたと言えるでしょう.

 戦前期まではそうではなかったのですが,旧西ドイツなどと同様に戦後,日本の心理学も高度にアメリカ化されました.その結果,上記の立場の心理学が日本でも長く主流を占めてきました.
 「科学」の重要性はもちろん,誰もが認めています.しかし心理学では,上記の立場が「科学主義」に陥っていないか,考えてみる余地がありそうです.科学主義は科学とは似て非なるものです.
 「客観」と対比させて「主観」は,まっとうな心理学者が忌避すべき過誤の最たるものとして扱われています.
 

 一方,心理学のメタ学問である理論心理学は,必ずしもそう考えていません.
 冒頭で述べたように,科学を含む人間の様々な活動のベースとなるのが,個々の人の主観性だからです.
 そこで質的心理学は主観性を排除するのではなく(それは実際には容易なことではありません),研究者と研究対象者の主観性を積極的に活用して研究を行っています.

 近年,日本の心理学者にとって,自身の主観性と研究や心理臨床や社会的活動や教育などの心理学実践の関係を振り返る契機が,図らずも訪れました.

 4年前に起きた東日本大震災と今日に至る(今後も長く続く)福島原発事故に直面して,「心理学は誰のために,何のためにあるのか」といったメタ学問的問題に,多くの心理学者が思いを致したに違いありません.
 こうした問いを考える経験はその人の主観性を変容し,新しい心理学実践が生れる土壌となります.

 <3.11>は心理学者の主観性に何をもたらしたのでしょうか?
 主観性がテーマですから,私自身の主観性について少し述べたいと思います.<3.11>は私にとっても衝撃的な出来事でした.この問題を考えるときに想起するのは,4人のドキュメンタリー作家による映画『311』です.

   『311』 森達也, 綿井健陽, 松林要樹, 安岡卓治(監督),2011年.

 <3.11>の直後に十分な装備や知識を欠いたまま福島や宮城や岩手の被災地に赴き,巨大な被害の実際を「現認」してそれに向き合おうとする自分の姿を記録しています.
 私の場合も今,何が起きているのか,できるだけ早く,たとえ不十分でも被災の実態を知らなければならない,という思いが当時の研究実践の基調にありました.

 この映画は穏やかな日常生活を不意に絶たれ,苛烈な被災経験を強いられた人々の視点から作られた作品ではありません.
 森達也監督が述べているように作品の目的や意義について論議を呼び,賛否が分かれています(http://www.cinematoday.jp/page/N0040127).
 映画の撮影の過程で肉親を亡くした遺族から,激しい抗議(非難)を受ける場面も収録されています.

 心理学者が心理臨床や研究においてクライアントや研究参加者の福祉を重んじ,決して不利益をもたらしてはならないことは当然です.
 しかし,他者の心や行動に働きかける心理学的介入が,その対象となる人にとって否応なく侵襲的な性質をもつことも,自覚する必要があります.

 映画『311』は震災と原発事故の過酷さを思い出す縁となる作品です.
 観ていて温かい気持ちや高揚した気分になることはありません.また,4人の監督の考えに私がそのまま同意するわけでもありません.
 しかし作家の視点から切り取られた光景が,そこに確かに特定の人の主観性が存在することを,強く意識させるのです.

 津波に洗われ,瓦礫に覆い尽くされた街に吹き荒ぶ寒風の音や,作家の目線で写された,行方の知れないわが子や妻を探して歩き続ける遺族の姿は,もしそのときそこにいたなら,私が体験したものでしょう.
 私自身が被災地に赴くようになったのは,もっと後になってからです.それは驚くべき経験でした.その際に見聞して感じ考えたことが,理論心理学や批判心理学の立場から心理学について考察するうえで多くの示唆と刺激をもたらしました.

 <3.11>の経験から日本の心理学者は(私もそのひとりです),何を生み出し得るでしょうか?

 映画『311』はDVDで視聴できます.

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