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2015年6月

2015年6月12日 (金)

アメリカ心理学会とCIAと強化尋問技法(心理学的拷問) 3

 「小さい方のAPA(アメリカ精神医学会)は拷問を明確に否定しているのに,大きい方のAPA(アメリカ心理学会)はなぜ,積極的に拷問に加担するのか」という疑問に,どう答えることができるでしょうか.
 精神医学者が拷問を拒絶する一方,心理学者がそうしなかったことは,心理学の倫理をめぐって論争を巻き起こしました.

 心理学的拷問の実態が広く知られるようになった2005年のアメリカ心理学会年次大会は,8月に同学会の本部が置かれているワシントンD.C.で開催されました.当時,イラクのアブグレイブ刑務所での米兵による収容者の虐待が大きな問題になり,過酷尋問への批判も高まっていました.
 すでに6月にアメリカ心理学会が設置したPENS特別委員会が,テロ容疑者やテロとの戦いで捕捉された「敵性戦闘員」の尋問で,心理学者が倫理に適った仕方で有用な専門的役割を果たし得る,という報告書を発表していました.
 過酷尋問への加担を公式に認可し,学会の政策として採用したことになります.
 このため拷問に反対する人たちが年次大会の会場やその周辺で,集会やデモを行い,改革を求める運動が活発になりました.
 APA会員による現在に至る改革への運動が本格的に始まりました.

 私もこの年の大会に参加していたのですが,アメリカ政治の中枢であるフェデラル・トライアングルにほど近い会場で理論心理学や心理学史のセッションに出席しながら,対テロ戦争の影響や長年にわたる心理学と軍事セクターの関係に思いを巡らしていたことを覚えています.
 旧知の北米の心理学史家と話すトピックもブッシュ政権の戦争政策が一般の市民に支持されているか,次の選挙でも共和党が多数を占めると思うか,といったものでした.確かにイラク戦争が避けがたく影響を及ぼしていました.

 問題の深刻さを自覚した諸国の心理学者と同様に,この10年ほどの間に折に触れて心理学的拷問について考えてきました.
 しかし9.11の直後からAPA幹部が国防総省やCIAやFBI,NSCなどと直接,交流する場をもち,専門的知識を提供して過酷尋問を実施する体制を支えていた,という事態は思いもよらないことでした. 

 第2次大戦中にドイツの医師が,ナチスによる大量殺戮や人体実験に加担したことなどを反省し医学界では,「ヒポクラテスの誓い」が徹底されています.
 アメリカ医学会もアメリカ精神医学会も,拷問を否定しています.
 アメリカ心理学会が最近までそうしなかった理由をよく考え,直視しなければなりません.

 報道によって問題が明らかになると,過酷尋問への心理学者の加担に対する批判が高まり,APA会員の中からその禁止を求める決議案やレファレンダムが繰り返し提議され,そのたびに否決されてきました.
 しかし2008年秋,ついにこのレファレンダムが多数の会員の支持を得て採択されました.その後,APA会長はブッシュ大統領に書簡を送り,人道に反する違法な尋問への加担を拒否しました.
 このニュースを聞いたときは,APA会員と執行部の良識が発揮されたといった感慨が湧き,うれしく思ったものでした.

 同時多発テロによって突然,自国内で多数の人命を奪われ,金融の中心ウォール街と国防の中心ペンタゴンを襲われ,政治の中心であるワシントンD.C.を狙われたアメリカの心理学者たちは,否応なく「戦時下」の緊迫した状況に置かれました.
 さらなるテロを防ぎ,治安を守るため公益に奉仕したい,とアメリカの心理学者たちが考えたことは,むしろ当然です.

 しかしそれによって,戦争捕虜やテロ容疑者への拷問が容認されるわけではありません.強化尋問技法を用いて拷問された人の中に多くの無実の人がいた,とアメリカ上院諜報委員会の報告書が指摘しています.
 激しい苦痛から逃れるために虚偽の自白を強いられ,苦痛や恐怖によって心的機能が障害されるため,テロ情報を得るうえで拷問は有効な手法ではない,と言われています.

 戦争捕虜の権利を保障したジュネーブ条約や人権保護を定めた国際法令が適用されない「違法な敵性戦闘員」への尋問や,CIAがアメリカ国外に設けた秘密収容施設(アメリカの国内法も適用されません)での過酷尋問にAPAが加担したことは,衝撃的な事実です.

 この問題の背景には「心や行動に関する客観的な科学的研究」としての心理学と,「心の健康を増進し福祉に寄与する心理学」という心理学の二面性があります.

 戦争捕虜に対する拷問は国際的な戦争犯罪として司法の場で裁かれます.
 ホワイトハウス法律顧問や司法省などブッシュ政権の司法当局は,過酷尋問が戦争犯罪として訴追されるのを避けるために,心理学者を活用しました.
 心理学者(健康専門職者)が尋問に立ち会い安全に配慮している,心理学者はこの尋問を拷問とは見なしていない,だから拷問ではない,という論理によって,強化尋問技法を用いて行われた過酷尋問は「拷問には該当しない」とされ,法的責任が免責されているのです.
 オバマ政権は,「水責め」が政府が認可した尋問技法だったと公表した元CIA職員を情報漏えいの罪に問い収監するなど,内部通報者への抑圧を強めています.
 一方,前政権が行った強化尋問技法による過酷尋問は,オバマ政権によっても免責されたままで,訴追される気配はみられません.

 医師や精神科医はそれぞれの学会が拷問への加担を拒絶しているため,司法当局は頼れません.そこで心理学者が活用されました.
 このため心理学者が協力しなければ,ブッシュ政権の「拷問のレジーム」は成り立たなかっただろう,と言われています.APAは重大な役割を演じたのです.

 1892年に設立されて以来,アメリカ心理学会は1920年代の拡大の時代や第2次大戦後の学会組織の再編,1980年代の臨床家と研究者の対立など,幾度か改革や分裂を経験しました.
 対テロ戦争における心理学的拷問への加担は今後,アメリカ心理学会の根幹を揺るがす可能性があります.
 心理学の研究成果を拷問を行うために活用しようと考えてAPA会員になった心理学者は,おそらくいないでしょう.この学会の目的とガバナンスのあり方が,改めて問われています.

 今回,報道された問題についてアメリカ心理学会は弁護士による独立調査委員会を設置し,その報告を待っています.
 報告書が提出されるまでは,上記の報道に関する質問には答えない,とのことです.


おすすめの資料
 この問題を詳しく知りたい方は,「倫理的心理学をめざす有志連合(Coalition for an Ethical Psychology)」のウェブサイトをご覧ください.
 http://ethicalpsychology.org/index.php

 また,1で引用したニューヨーク・タイムズ紙の記事を書いたジェームズ・ライゼンの著書も,APAとCIAなど軍事防諜当局の関係を説明しています.
 James Risen著 Pay Any Price: Greed, Power, and Endless War.Mariner Books (2014).

  ライゼンは『戦争大統領:CIAとブッシュ政権の秘密』(毎日新聞社,2006)の著者です.
 一般市民の私的通信を秘密裡に傍受するなど,9.11後の米政権による市民社会への監視の強化に関する調査報道で,ピューリッツアー賞を受賞しました.

 苛烈な尋問の実際を,下記の映画が描いています.
  Martha Davis監督  『Doctors of the Dark Side』(2011,https://www.doctorsofthedarkside.com/).
  2012年の国際連合映画祭の正式参加作品.監督のM.デービスはアメリカの臨床心理学者,映像作家です.
  M.ウィンターボトム監督  『グアンタナモ,僕達が見た真実』(2006,イギリス映画). ベルリン国際映画祭監督賞を受賞.

  強化尋問技法を開発して,CIAが米国外に設置した秘密拘禁施設で自らアルカイダ幹部などへの過酷尋問を行った米軍の軍事心理学者へのインタビュー,下記のサイトで視聴できます.
  https://www.youtube.com/watch?v=MmNUi0itl-8
  https://www.youtube.com/watch?v=VTzwa9S444c

  商品の詳細

  グアンタナモ、僕達が見た真実 [DVD]


<7月6日追記>
 アメリカ心理学会(APA)の最高意思決定機関は,専門部会(division)や地域部会の代表によって構成される代議員会(The Council of Representatives)です.
 心理学的拷問に関する問題も,この場で討議されアメリカ心理学会が取るべき政策が決定される見込みです.

 先週,とある国際会議の会場で,アメリカ心理学会代議員会のメンバーと(拙い英語で)懇談する機会を得ました.
 強化尋問技法による心理学的拷問について尋ねたところ来月,トロントで開催されるアメリカ心理学会年次大会において,近く公表される独立調査委員会の報告にもとづき,この問題が討議されるそうです.

 

 

アメリカ心理学会とCIAと強化尋問技法(心理学的拷問) 2

 2001年にアメリカを襲った9.11同時多発テロの後にアメリカが主導して始まった対テロ戦争において,CIAが捕虜やテロ容疑者に対して「過酷な尋問」を行っていたことが,報道によって明らかになりました.
 アメリカ心理学会がこの尋問を実施する体制を支え,CIAに雇用された心理学者が自ら「強化尋問技法」と呼ばれる過酷な技法を開発してアルカイダ幹部に尋問を行っていた,と報道されました.
 
 下記のニューヨーク・タイムズ紙の記事はその例です.

Red Cross Finds Detainee Abuse in Guantánamo
http://www.nytimes.com/2004/11/30/politics/30gitmo.html

2 U.S. Architects of Harsh Tactics in 9/11’s Wake
http://www.nytimes.com/2009/08/12/us/12psychs.html?pagewanted=all&_r=0

 過酷尋問は,実際には人道に反する拷問です.

 2004年にこの問題が明らかになると,ヒューマンライツ・ウォッチやアムネスティ,社会的責任を果たす医師団などの人権NGOが拷問に反対する活動を始めました.
 アメリカの心理学者とアメリカ心理学会(APA)の関与が指摘されていたため,アメリカ心理学会の会員の中からも「心理学的拷問」に反対する声があがりました.

 私が初めて知ったのは2005年春のことでした.
 国際会議に参加するためにイギリスを訪れたときに,当地の心理学者からイギリス心理学会 社会心理学部会の大会で対テロ戦争と心理学の関係をテーマとするシンポジウムが開かれ,活発な討議が行われたと聞きました.
 のちにその成果の一部は,Just War: Psychology and Terrorism (Roberts, R. (ed.), 2007, PCCS Books) として刊行されました.

 心理学のメタ学問である理論心理学を専門とする研究者にとって,心理学が学問外部の諸セクターによってどのように影響され,どう変容していくかは主要な研究テーマのひとつです.
 戦争や国家安全保障との関係は,心理学が外的要因の影響を最も強く顕著に被るケースです.
 対テロ戦争に際して,アメリカの心理学者とアメリカ心理学会がどのように振る舞うか,注視してきました.

 アメリカの心理学者がCIAによる過酷尋問に関与していることが明らかになると,APA会員の中から批判と抗議の声があがりました.
 「社会的責任を果たす心理学者たち(Psychologists for Social Responsibility)」や「倫理的心理学をめざす絆(Coalition for an Ethical Psychology)」などが,APAに真相を究明し拷問への加担を明確に禁止するように求める運動を始めました.

 APAは「心理学の倫理と国家安全保障に関する会長直属の特別委員会(PENS Task Force)」を設置して,ここで有識者が公正な審議を行って国家安全保障に係わる問題についてAPAがとるべき政策を決定した,強化尋問技法を開発した二人の軍事心理学者はAPA会員ではない,APAは過酷尋問に関与していない,と主張してきました.
 ただしAPAは,尋問は心理学者が長い間,研究を行い成果を蓄積して軍事,諜報,捜査,司法などの公的セクターに寄与してきた領域であり,対テロ戦争において心理学者が果たすべき重要な役割がある,と主張していました.

 当初からAPAが設置したPENS特別委員会の委員の顔ぶれが偏っている(軍籍をもつ現役の軍人や国防総省など軍事セクターと利害関係にある軍事心理学者が多い),という批判は聞いていました.
 しかし,私も「APAが組織として過酷尋問に加担してはいない,APA会員ではない軍事心理学者の行いにAPAは責任を負わない」といったAPAによる説明を概ね,受け容れていました.
 APAが主体的に9.11後の対テロ戦争における心理学的拷問に係ってはいないのだろう,と考えていました.

 ところが今回の報道によると,PENS特別委員会の委員の人選でも,国家安全保障に関するAPAの倫理指針を方向づけたPENS報告書の作成においても,APAはブッシュ政権のホワイトハウス科学顧問(心理学者,元APA職員)やCIA担当官(心理学者,APA会員)と協働して,最初から心理学者の過酷尋問への関与が可能になるように工作していたそうです.
American Psychological Association Bolstered C.I.A. Torture Program, Report Says.   By JAMES RISEN, APRIL 30, 2015.
http://www.nytimes.com/2015/05/01/us/report-says-american-psychological-association-collaborated-on-torture-justification.html?_r=0

Emails Show American Psychological Association Secretly Worked with Bush Admin to Enable Torture.
http://www.democracynow.org/2015/5/5/emails_show_american_psychological_association_secretly

Robert Jay Lifton, Author of "The Nazi Doctors": Psychologists Who Aided Torture Should Be Charged.
http://www.democracynow.org/2015/5/7/robert_jay_lifton_author_of_the

 CIAに雇用された心理学者がテロ容疑者に過酷尋問を行っている,と批判されていました.APA倫理部長らAPA幹部たちはその心理学者はAPA会員ではない,だからAPAは拷問とは関係ない,と主張していました.
 しかしCIAで働いていた二人の軍事心理学者のうちの一人はAPA会員だったことが分かりました.

 驚いたことに,APAは2003年にCIAとランド研究所(第2次大戦中に発展した行動科学による軍事研究を受け継ぐシンクタンクです)とともに尋問に関する非公開の会議(招待者しか出席できません)を主催し,二人の軍事心理学者も参加していたそうです.
 その会議では感覚刺激の過剰暴露(sensory overload)や精神薬理物質の効果が議題として取り上げられた,と報じられています.

 この会議に出席した当事者など,APA幹部らが2003年から2006年までに交わした多数のEメールが司法省をへて人権NGOや報道関係者の手に渡り,調査報道が行われました.
 心理学的拷問に反対するAPA会員の有志がこのEメールを検討し,APAが果たした役割を報告しています(http://www.nytimes.com/interactive/2015/05/01/us/document-report.html).

 APAが共催した尋問に関する上記の会議の後にAPA幹部が件の二名の軍事心理学者に,会議の成果についてフィードバックを求めるEメールを送っても,返信がなかったそうです.
 CIA担当官(心理学者)に問い合わせたところ,「彼らは特別な場所で特別な人に特別なことをしている」ので今は連絡できない,と告げられた,とのことです.
 一体,そのとき二人の心理学者はどこで,誰に,何をしていたのでしょう?

 下記のサイトで,この問題の展開を時系列に即して知ることができます.
  http://ethicalpsychology.org/timeline/



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