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2015年12月

2015年12月30日 (水)

アサイラムのディスコース分析:「The Language of Asylum: Refugees and Discourse」(2015)

 アサイラム(asylum)は避難,亡命,難民収容所などを意味する英単語です.

 2015年は中東の紛争地などからヨーロッパへの難民が,改めて大きな問題になった年でした.
  生命の危険が迫る極端に劣悪な生活環境から逃れようと海を渡る人々の姿をテレビの報道などで知り,心を痛めた人は多かったに違いありません.

 難民や移民の問題は各々の受け入れ国の内政が複雑に絡まった,長年の懸案です.多くの人の生命に係る喫緊の課題でありながら,抜本的な解決策は未だ見い出されていません.
 難民を受け入れることにより,受け入れ国の雇用が奪われる,治安が悪化する,など様々な理由づけがなされ,政争の種になってきました.

 心理学はこの難問を前にして,何を為し得るでしょうか.
 難民と受け入れ国の人々の考えや経験を,「現実」を詳しく知ることが,第一歩になるはずです.
 当事者にインタビューしたり,当事者の日常生活を参与観察するなど,質的方法を用いた研究に適した主題です.

 イギリスの心理学者を中心とする研究グループが,ディスコース分析に拠ってイギリスで起きている問題に取り組み,研究書を刊行しました.

 タイトル:The Language of Asylum: Refugees and Discourse
 著者:Chris McVittie, Simon Goodman, Steven Kirkwood, Andy McKinlay
 出版社:Palgrave Macmillan.2015

 ディスコース分析によって「主体」の主観性や経験を詳細に検討しています.
 ディスコース分析は言語による「特定のバージョンの現実」の構成と,それがもたらす現実の生活への影響を解明するうえで有効な方法論です.

 難民や亡命申請者という「主体」が自らをどのように考え説明しているか,また難民を受け入れる(あるいは拒絶する)ヨーロッパの市民や政治家などの「主体」が,難民をどのように理解し説明しているかを知ることは,この難問に取り組むうえで重要な知見を与えてくれるはずです.

 難民問題にかかわる「異なったバージョンの現実」がどのようにして構成され,誰をどのような行為へと方向づけているか,をディスコース分析によって解明できます.

 この本の目次は下記のとおりです.

Introduction

PART I: SEEKING ASYLUM AND THE JOURNEY
1. Policy and Research on Refugees and Asylum-Seekers
2. Theory and Method in Understanding the Experiences of Refugees and Asylum-Seekers

PART II: GETTING HERE
3. Places of Death - Constructing Asylum-Seekers' and Refugees' Countries of Origin
4. Places of Safety - Constructing Countries of Refuge
5. Who Counts as an Asylum-Seeker or Refugee?

PART III: BEING HERE
6. Asylum-Seekers and the Right to Work
7. Relationships with Local Residents - Antagonism, Racism and Belonging

PART IV: STAYING HERE OR GOING BACK
8. Refugees, Asylum-Seekers and Integration
9. Destitution, Detention and Forced Return

PART V: CONCLUSION
10. Conclusion

 

  https://gramnet.files.wordpress.com/2015/12/screen-shot-2015-12-08-at-09-53-49.png

2015年12月22日 (火)

心理学と日常生活の行為:「Psychology and the Conduct of Everyday Life」(Schraube & Højholt, Routledge 2015)

 心理学を「基礎心理学」と「応用心理学」に大きく二分する見方は,今日でもみられます.

 これは実験心理学などの基礎心理学が人間の心や行動のメカニズムを解明し,その成果が産業や健康や教育,軍事などの諸領域に応用されている,という心理学観です.
 自然科学が解明した自然の法則やメカニズムを工学などが応用して生活の向上のために活用するという科学観はお馴染みでしょう.
 同じ図式を心理学に当てはめ,こうした見方が受け入れられてきました.

 しかし現実の生活の状況を離れ,抽象化された実験室では人間の心や行動について生態学的に妥当な研究を行えないのではないか,という疑問をいだいた心理学者は少なくありません.

 今日,アカデミックな心理学の主流の座にある「科学的心理学」は,100年ほど前に始まった行動主義から発展したものです.
 そうした行動主義的心理学の妥当性に疑いを感じた研究者が,それぞれの立場から新しい心理学を構想してきました.

 1970年代にドイツで一大勢力になったドイツ批判心理学(ベルリン学派)も,そのひとつです.
 個々人の「主体」としての立場を重んじ,日常生活に意義ある変化をもたらす心理学を目指してきました.
 今日に至るまで,抜本的に新しい心理学の方法論を構築しようと努力しています.

 この夏,ドイツ批判心理学(ベルリン学派)の学統を受け継ぐ研究者たちが,日常生活の行為を研究する方法や理論や研究の実例を一冊にまとめた論文集を刊行しました.
 日常生活で行われる様々な行為は心理学者にとっても,心理学者ではない多くの人にとっても,重要な関心事でしょう.

 Psychology and the Conduct of Everyday Life (Ernst Schraube & Charlotte Højholt (Eds.), Routledge, 2015)

 十数年来のドイツ批判心理学の展開を通覧する視座を与えてくれます.
 このアプローチの発展を期して2009年には,Theory&Psychology誌の特集「German Critical Psychology: Interventions in Honor of Klaus Holzkamp 」を刊行しました(Painter,D, Marvakis,A,& Mos,L, Eds.).

 また一昨年,ドイツ批判心理学を主導したクラウス・ホルツカンプの英訳論文集を刊行し,学派の再興と新しい発展に向けて尽力しています.
 Psychology from the Standpoint of the Subject: Selected Writings of Klaus Holzkamp (Ernst Schraube (編集), Ute Osterkamp (編集), Andrew Boreham (翻訳) Palgrave Macmillan,2013)

 これらの仕事を刊行した研究者のうちの幾人かは,私にとって大切な友人です.この十数年の間,彼(女)らの仕事の発展を同時に伺う機会を得ました.
 今後,世界の各地でこの到達点からさらに多くの研究が生まれることでしょう.
 論文集がひとりでも多くの人に届けられれば,と願っています.

 以下,最新の「心理学と日常生活行為」に関する論文集の目次をお示しします.

目次
1. Introduction - Towards a Psychology of Everyday Living   Charlotte Hjholt & Ernst Schraube
2. Conduct of Everyday Life: Implications for Critical Psychology  Ole Dreier
3. Conduct of Everyday Life in Subject-Oriented Sociology: Concept and Empirical Research Karin  Jurczyk, Gnter G. Vo & Margit Weihrich
4. Conduct of Everyday Life as a Basic Concept of Critical Psychology  Klaus Holzkamp
5. The Maze and the Labyrinth: Walking, Imagining and the Education of Attention  Tim Ingold
6. Embodying the Conduct of Everyday Life: From Subjective Reasons to Privilege  Thomas Teo
7. The Ordinary in the Extra-Ordinary: Everyday Living Textured by Homelessness  Darrin Hodgetts, Mohi Rua, Pita King & Tiniwai Te Whetu
8. Situated Inequality and the Conflictuality of Children’s Conduct of Life  Charlotte Hjholt
9. "There is No Right Life in the Wrong One": Recognizing this Dilemma is the First Step Out of It  Ute Osterkamp
10. Everyday Life in the Shadow of the Debt Economy  C. George Caffentzis
11. From Crisis to Commons: Reproductive Work, Affective Labor, and Technology in the Transformation of Everyday Life  Silvia Federici
12. Frozen Fluidity: Digital Technologies and the Transformation of Students Learning and Conduct of Everyday Life  Ernst Schraube & Athanasios Marvakis
13. The Politics of Hope: Memory-Work as a Method to Study the Conduct of Everyday Life  Frigga Haug
14. Collaborative Research with Children: Exploring Contradictory Conditions of the Conduct of Everyday Life  Dorte Kousholt

   Psychology and the Conduct of Everyday Life

2015年12月14日 (月)

強化尋問技法:「強いられた沈黙」(NHK BS世界のドキュメンタリー)

 過日,NHKのBSで再放送されたドキュメンタリー番組『強いられた沈黙』をみていると,元CIA職員のジョン・キリアコウ氏が3人の主人公のひとりとして登場しました.
 この番組は
NHKの『BS世界のドキュメンタリー』の1本として,2月に最初に放送されました.

 9.11同時多発テロの後,アメリカ政府はテロ対策のために市民への監視を強め,違法な取り調べや尋問を行うようになりました.
 そこに人権侵害に該当する行き過ぎが生じている,アメリカの憲法や建国の理念に反している,と内部告発したCIA作戦課員と国家安全保障局(NSA)幹部職員,司法省弁護士が主人公です.

 当ブログで数度,2002年にアルカイダ幹部だと目されていたアブ・ズベイダ容疑者を捕捉するためにCIA作戦要員がパキスタンで諜報活動を行い,同容疑者に尋問した,と記しました
 この作戦を指揮し,同容疑者を捕えて最初に尋問を行ったのはキリアコウ氏です.

 2007年にABCテレビのインタビューに答える中で同氏は,CIAがテロ容疑者に水責めを含む拷問を行っていると述べました.
 すでに各種メディアや人権NGOが報じていた周知の事実でしたが,CIAの中枢にいた人物が公式に拷問を認めた重大ニュースとして,大々的に報道されました.

 このためキリアコウ氏は「CIA内部の反体制派」と見なされ,当局からスパイ罪や情報漏えい罪などの嫌疑を掛けられて訴追されました.
 意図せずして長く,厳しい法廷闘争が始まりました.

 5人の子どもの父である同氏は,莫大な訴訟費用や数十年に及ぶ恐れのある懲役刑を避けるため政府との司法取引に応じました.一部の罪過を認めて30か月の禁固刑を受け容れました.
 自宅の庭で幼子と遊ぶ日常生活が絶たれ,収監される様子をドキュメンタリー番組が記録しています.

 同氏は違法な拷問には係っていないのですが,拷問を公に批判したために刑務所に入ることになりました.
 対テロ戦争で行われた「政府が認可した拷問」を立案し実施した人たちは罪を問われず,拷問の悲惨さを訴えた人が罪を負う,という理不尽な事態が起きています.

 キリアコウ氏は番組の中で,「強化尋問技法」による過酷尋問が導入される背景を述べています.
 同氏は強化尋問技法に関する訓練を受けておらず,その存在をアブ・ズベイダ容疑者を捜索していた2002年には知らなかったそうです.
 パキスタンで捕捉したアブ・ズベイダ容疑者に最初に尋問した後,再び会うことはありませんでした.同容疑者はCIAの専用ジェット機で他所へ移送されたのですが,行き先は告げられなかったそうです.

 そのころCIAは対テロ戦争を戦ううえで役立つ情報を入手するため,通常の尋問技法の制約(被尋問者の人権や人道への配慮です)を越えて,より強力な技法を用いて尋問を行う施策を採用しました.ホワイトハウスがそれを求めていました.
 人道に反する過酷な尋問(拷問)が組織的に行われる状況が醸成されつつありました.

 キリアコウ氏の手を離れた アブ・ズベイダ容疑者はパキスタンから,CIAがタイに設営した秘密収容施設へと移送されました.
 そこで強化尋問技法を用いて
「心理学的拷問」を行ったのが,アメリカ軍のSEREプログラムで兵士の訓練を行っていた二人の心理学者でした.
 二人の心理学者は自らこの技法を開発し,軍事コンサルテーション会社を設立して政府と契約を結び,多くの容疑者の尋問にたずさわりました.

 番組では拷問は詳しく説明されていません.過酷な尋問の実際を,下記の映画が描いています.

 M.ウィンターボトム監督 『グアンタナモ,僕達が見た真実(The Road to Guantanamo)』(2006,イギリス映画,ベルリン国際映画祭監督賞)

  グアンタナモ、僕達が見た真実 [DVD]

 NHKの『BS世界のドキュメンタリー』の1本として放送された『強いられた沈黙(前後編)』は,もともと長編のドキュメンタリー映画として制作された作品です.
  原題:Silenced
  監督:James Spione
  制作:Morninglight Films/NakedEdge Films (アメリカ,2014)  
  【トールグラス映画祭 ゴールデンストランド賞】
  【トラバースシティ映画祭 特別賞】

     https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTElbZwMDDhBX7z_Lg8TO5ASWFbJcMh0liCaWsW0xtpnA9Tqn6R

 

 デモクラシー・ナウ!の日本語サイトが,今年2月に仮釈放されたキリアコウ氏のインタビューを掲載しています(自宅軟禁中のインタビューです).
 独占インタビュー: 拷問を暴いて投獄されていたCIA内部告発者ジョン・キリアコウ 「必要なら何度でもやります」
 http://democracynow.jp/dailynews/20150209


  キリアコウ氏はCIAでの仕事を振り返って回想録を書いています.
 学生時代に指導教授(精神医学者)からCIAへとリクルートされたこと,9.11のテロ当日のCIA本部の混乱,パキスタンでアブ・ズベイダ容疑者を捜索し尋問したこと,意図せずして内部告発者になりFBIの執拗な身辺調査を受け訴追される経緯など,「普通のアメリカ市民」がCIA職員として対テロ戦争の中枢を担い,やがて「政府の敵」になってしまう数奇な物語です.

 John Kiriakou著  The Reluctant Spy: My Secret Life in the CIA's War on Terror(不本意なスパイ:CIAの対テロ戦争を戦った私の秘められた生活). Skyhorse Publishing; Reprint版 (2012/2/27)

 

2015年12月 6日 (日)

「神経科学的転回」と批判心理学

 近年,目覚ましい勢いで発展している神経科学(脳科学)は,「心理学化」について考えるうえでも重要です.

 心理学化(psychologization)が進んだ社会では個人の振る舞いや内的性質を,心理学が産出した用語や理論やテストやセラピーなど(心理学知識)を用いて把握し,心に介入して変容する実践が日常的に行われるようになりました.
 心理学化された社会の典型例は20世紀半ば以降のアメリカです.日本社会もこの四半世紀ほどの間に急速に心理学化されました.

 批判心理学者が取り組む課題は多岐にわたりますが, 「社会と個人の心理学化」が私たちに何をもたらすか,というテーマはおもな研究主題のひとつです.

 批判心理学は教育や産業や医療,福祉,軍事など様々な領域で適用されている心理学知識が人間の幸福や福祉を増進しているか,反対に管理統制のツールとして人間を抑圧していないか,という視点から心理学のあり方を検討しています.

 神経科学の発展とともに,個人の心の性質やメカニズムをその人の脳へと「還元」する動勢が強まりました.
 脳の水準で人の心や振る舞いを説明できれば,人間性をめぐって長年探究されてきた諸問題は「客観的な科学的研究」によって最終的に解決されそうだ,という印象を与えます.
 巨額の研究費など多くのリソースに支えられ,このアプローチは心を専門とする学問(サイ学問)に「神経科学的転回」をもたらしました.

 メタ学問としての理論心理学からみると,神経科学による心や行動の説明は
・科学技術の進歩が可能にした「心の学問」の進歩,
・客観的なエビデンスを重んじる社会的要請に適合した新しい研究領域の伸張,
・PETやfMRIによる脳画像が説得的に受け容れられたマスカルチャーの繁栄,
など,多様な側面をもっています.

 神経科学的転回は人文社会科学の様々な領域の研究者に,それぞれが研究対象としている人間とは何か,人間をどう理解すればいいのか,という問題をもたらしました.

 この問題を考察するヒントを与えてくれるのが最近,刊行された下記の本です.
 
 Neuroscience and Critique: Exploring the Limits of the Neurological Turn
(Jan De Vos & Ed Pluth(Eds.), Routledge 2015)

 第一編者のDe Vosは Psychologisation in Times of Globalisation (Routledge, 2012) の著者です.この本は心理学化の問題に関心をもつ研究者の間で広く読まれています.

 脳科学による人間性の説明を批判的に捉える視座が,各章で例示されています.
 以下,目次をお示しします.

目次

Introduction: Who Needs Critique? Jan De Vos and Ed Pluth
Part One: Which Critique?

1. The Brain: a Nostalgic Dream: Some notes on neuroscience and the problem of modern knowledge, Marc De Kesel 
2. What is Critique in the Era of the Neurosciences? Jan De Vos
3. Who Are We, Then, If We Are Indeed Our Brains? Critique, Neuroscience, and Psychoanalysis, Nima Bassiri 
4. Neuroscientific Dystopia: Does Naturalism commit a Category Mistake? Peter Reynaert 
Part Two: Some Critiques 

5. From Global Economic Change to Neuromolecular capitalism, Jessica Pykett 
6. What is the feminist critique of neuroscience? A call for dissensus studies, Cynthia Kraus 
7. Brain in the Shell. Assessing the stakes and the transformative potential of the Human Brain Project, Philipp Haueis and Jan Slaby 
8. Confession of a Weak Reductionist: Responses to Some Recent Criticisms of My Materialism, Adrian Johnston 
Part Three: Critical Praxes 
9. The role of biology in the history of psychology: neuropsychoanalysis and the foundation of a mental level of causality, Ariane Bazan 
10. Embodied simulation as second-person perspective on intersubjectivity, Vittorio Gallese 
11. Empathy as Developmental Achievement: Beyond Embodied Simulation, Mark Solms  Afterword 
12. The Fragile Unity of Neuroscience, Joseph Dumit  

 
      

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