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2016年3月

2016年3月25日 (金)

「水責め」とアメリカ大統領選挙:トランプ候補の主張

 アメリカの大統領候補を選ぶ予備選挙で,「水責め(waterboarding)」が争点のひとつとして浮上しています.
 3月にベルギーで起きた自爆テロを受けて,テロ対策が改めて議論されています.
 テロの脅威からアメリカを守るために「水責め」も辞さない強いリーダーだ,という主張を共和党の候補者が展開しています.

 9.11同時多発テロの後,対テロ戦争の一環としてアメリカはテロ情報を得るために「過酷尋問」を行うようになりました.
 CIAに雇用された軍事心理学者が開発し,パッケージ化した「強化尋問技法」を用いて,テロ容疑を掛けられた多くの人に過酷尋問が行われました.

 そこで用いられた様々な技法のなかで,被尋問者に激しい苦痛と死の恐怖を与えるものとして悪名を馳せた技法が「水責め」です.

 過酷尋問はテロ対策のため,アメリカ政府の政策決定者の認可を得て行われました.
 この「政府が認可した拷問」は,拷問に反対する人たちにとってはアメリカの建国の理念に反する「アメリカ史に残る汚点」とされています.テロ対策としても効果はなかった,と評されています.

 一方,ブッシュ政権やCIA,国防総省などで過酷尋問を立案し実施した側の当事者たちは,強化尋問技法による尋問は「安全で合法で有効だった」と主張しています.
 9.11に続くさらなるテロを防ぐうえで,過酷尋問によって得られた情報が役立った,「過酷尋問は法的には拷問ではない」という主張です.

 2009年にオバマ政権が誕生すると,大統領は「アメリカが拷問を行ったことは誤りだった」と記者会見で言明しました.CIAや国防総省が行ってきた過酷尋問は禁止されました.
 しかし,前政権で拷問を行った当事者の責任は問われていません.反対に,拷問の違法性を訴えたCIAなどの内部告発者が情報漏えいの罪に問われ,訴追されました.

 共和党の大統領候補を選ぶ予備選でトップを走るD.トランプ候補が,アメリカをテロから守るためには「水責め」でも,もっと過酷な尋問技法でも採用すべきだ,と述べたと報道されています.
 トランプ候補を追う2位のT.クルーズ候補も,必要なら過酷尋問を行うべきだ,と述べたそうです.

 「トランプ氏「テロの容疑者には水責め」」
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160323/k10010452991000.html)

 「テロ容疑者の尋問「水責め超える手段で」 トランプ氏」
(http://digital.asahi.com/articles/ASJ3R2S0CJ3RUHBI00R.html)

 「米トランプ氏「水責め以上の」拷問を主張 容疑者尋問で」
 (http://www.sankei.com/world/news/160323/wor1603230020-n1.html)


 「国を守る力強い指導者」というイメージを醸成するために,「水責め」が引き合いに出されているようです.
 国家安全保障を論じるときには,こうした主張によって聴衆の注目を集めることができます.今後もテロ対策として過酷尋問が話題にのぼることでしょう.

 9.11後の時代に,心理学者は従来のような尋問の「行動科学」的研究や人員の選抜・訓練だけに留まらず,政策決定者や軍事・情報当局の求めに応じて,自ら過酷尋問を設計して尋問を行うようになりました.

 CIAに雇用された2名の軍事心理学者は「強化尋問技法」を開発して,自らアルカイダ幹部に過酷尋問を行いました.
 彼らが設立した軍事コンサルテーション会社,「ミッシェル&ジェッセン社」は120名の社員を擁してテロ容疑者に尋問を行い,政府から8000万ドル以上の報酬を得たと報道されています.日本でもよく知られている心理学者(元アメリカ心理学会会長)が同社の役員に就いていました.

 アメリカ国防総省はテロ容疑者を尋問するために,同省に所属する心理学者を「行動科学コンサルテーションチーム(BSCT)」に配属しました.
 心理学者は個々の被尋問者の心的性質を把握して効果的な尋問技法を助言しました.同時に健康専門職の立場から被尋問者の健康が守られていることを保証して,過酷尋問を合法化する役割を担いました.
 BSCT心理学者 J.レソ少佐が同僚の精神科医とともに過酷尋問を行う手順書を作成し,国防長官の承認を経て,ガンタナモ収容所などで軍による過酷尋問が行われた,と報道されています.

 各種の調査によると,アメリカ市民の間では拷問がテロ防止のために有効だ,という意見が根強く支持されているそうです.
 FOXテレビの人気ドラマシリーズ「24」の主人公ジャック・バウアーは,9.11後のアメリカ社会のアイコンになりました.確固たる信念をもち,誰に何を言われようと呵責ない拷問を行い,アメリカを何度もテロから救ったヒーロー像です.
 こうしたテレビドラマがアメリカの世論に大きな影響を与えている,といわれています.

 ベルギーの空港と地下鉄を襲った自爆テロや「イスラム国」の脅威など,国家安全保障に係る危機が続いています.
 今後もテロ対策のかなめとして,容疑者への尋問が重視されると予想されます.

 心理学は軍事・情報セクターによって尋問を支える行動科学として見いだされ,1950年代から大きな役割を果たしてきました.
 被尋問者から供述を引き出す技術や,供述内容の真偽を判別する技術は戦争において,決定的に重要な技術のひとつです.正確なテロ情報を得られるかどうかが,テロ対策の成否を決めるといっても過言ではありません.
 ニューロサイエンスの発展を背景として,認知神経心理学的研究を行ってこうした技術を開発する試みが,今後も続けられていくと考えられます.

 尋問が拷問へと頽落する契機は,苛烈な戦争の現場では尋問者がおそらく日常的に経験していることでしょう.
 拷問と心理学の危うい関係を,私たちはどのように考えるべきでしょうか?


2016年3月24日 (木)

アメリカ科学振興協会が「心理学的拷問」に反対した心理学者を顕彰しました

 アメリカ科学振興協会(AAAS)が「科学の自由と責任賞(AAAS Award for Scientific Freedom and Responsibility)」を,ジーン・マリア・アリゴ(Jean Maria Arrigo)博士に授与しました

 科学の自由と責任賞は,科学の自由を守り科学者の責任を果たすために,自らに降りかかる不利益や困難を顧みずに行動した科学者や技術者を顕彰するものです.1980年に同協会が創設しました.
 1848年に設立されたアメリカ科学振興協会は,「Nature」誌と並ぶ代表的な科学雑誌とされる「Science」誌の発行団体です.

 アリゴ博士は10年に渡って,アメリカ心理学会(APA)が国家安全保障に係る尋問に加担するために倫理指針を変更した「APA会長直属の心理学の倫理と国家安全保障に関する特別委員会(PENSタスクフォース)」の問題点を指摘し,「心理学的拷問」に反対する活動を行ってきました.

 アリゴ博士は2005年にAPAの倫理指針の決定過程で重大な不正がなされた可能性を知り,内部告発を行いました.内部告発者として始められた困難な活動が10年後に結実し,心理学者の「過酷尋問」への関与を禁じる道を開きました.
 
科学の自由と責任賞はこの功績に対して授与されました

 軍の倫理的問題を研究していたアリゴ博士はPENSタスクフォースの委員に選ばれ,2005年6月に開催された同委員会に出席しました.
 この委員会が2日半の審議で,心理学者が過酷尋問に関与する道を開く倫理指針を答申した過程を当事者として現場で経験し,APAのあり方に疑念を抱くようになりました.

 疑いを抱いた理由は,
・同委員会の投票権を持つ10名の委員のうち,6名が国防総省やCIAと直接,利害関係にある軍事心理学者だったこと.(国防総省に所属する主要な軍事心理学者が委員に任じられていました)
・短時間の審議の後に完成形に近い答申案を提示され,同意を求められたこと.(答申案は「心理学的拷問」を認めていました)
・審議中にメモを取ることを禁止されたこと.(学会の新しい政策を審議する場で,メモが禁じられるのは異例です)
・同委員会の委員長ではなく,投票権を持たないオブザーバーが審議を実質的に取り仕切っていたこと.(APA幹部職員やホワイトハウス科学顧問がオブザーバーとして出席していました.)
・心理学者が倫理に適った仕方で国家安全保障に係る尋問に寄与できる,とした同委員会の答申が,APAの最高意思決定機関であるAPA代議員会の議決をへずにAPAの正式な倫理政策とされたこと.(つまり,国防総省の心理学者がガンタナモ収容所などで「行動科学コンサルテーションチーム」の主要な構成員として過酷尋問に関与していた現状が,APAによってそのまま追認されたこと),
などの諸点が,アリゴ博士にAPAと国防総省やCIAやホワイトハウスとの協働による工作を疑わせました.
 テロ容疑者に行われていた「政府が認可した拷問」を実施する体制を支える役割を,APAが担っているのではないか,という懸念が生じました.

 各種の調査やホフマン報告によって,今日では(残念ながら)アリゴ博士の見立てが正しかったことが分かっています.
 PENSタスクフォースの委員の人選も新しい倫理指針の答申案も,国防総省やCIAなどの担当官とAPA幹部が綿密に打ち合わせて工作したものでした.彼(女)らが交わした多くの電子メールから,こうした実態が明らかになりました.

 昨年8月にAPA代議員会は,国家安全保障に関する尋問にAPA会員が関与することを禁止し,倫理指針を変更しました.

 アリゴ博士の献身的な活動が無ければ,おそらくAPAは自ら変わり得なかったことでしょう.

 内部告発を行いAPAの倫理指針を批判したアリゴ博士を,APA幹部たちは長い間,冷ややかに手厳しく処遇してきました.
 大学に所属しない独立研究者であるアリゴ博士と12万数千人の会員を擁するAPAの運営を担う幹部たちの間には,著しい力の格差が認められます.

 アリゴ博士の勇気に,日本で活動するひとりの理論心理学者・批判心理学者として,陰ながら敬意を表します.ありがとうございました.

  
Arrigo_web

 ガーディアン紙はアメリカ心理学の拷問への加担を内部告発したアリゴ博士を,「国民的ヒーロー」と称えています.
'A national hero': psychologist who warned of torture collusion gets her due

(http://www.theguardian.com/law/2015/jul/13/psychologist-torture-doctors-collusion-jean-maria-arrigo)

 科学的心理学会(APS)が,アリゴ博士の受賞を祝う記事をウェブ上で公開しています.
AAAS Honors Psychological Scientist for Fight Against Torture

(http://www.psychologicalscience.org/index.php/publications/observer/obsonline/aaas-honors-psychological-scientist-for-fight-against-torture.html)

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