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2016年11月

2016年11月26日 (土)

多様な心へのアプローチ:L.ウォラック , M.ウォラック 著『心の七つの見方』,新曜社

 1990年代半ばから臨床心理士がひろく社会的認知を得るなど,日本でも心理学がいっそう発展しています.
 日本社会で生きる人は日々の生活を送るなかで,心理学が生み出した用語や概念,心理テスト,心理療法などの「心理学知識」に,自然に出会うようになりました.
 人の振る舞いや健康,人間関係,個人の性質や能力などが語られるときに,さまざまな心理学知識が用いられています.

 しかしその一方,心理学の基礎にある「心とは何か」という問題が省みられる機会は稀なようです.
 長年の哲学者による探究や近年の神経科学の発展にもかかわらず,この問題は未解明なままで,論争が続いています.

 脳が頭蓋骨の中に実在するように心という「もの(物理的実体)」が脳の中に(あるいは他のどこかに),実在するわけでありません.
 そのため「心とは何か」という主題をめぐって,様々な説が提出されてきました.
 たとえば「心は脳」,「心は行動」,「心はコンピュータのソフトウェア」,「心は社会構成物」など,異なった見方が可能です.

 心をみる見方が異なれば,心を研究する方法も異なることになります.心理学の研究方法論や心を説明する理論の多様性の背景は,こうした心観の多様性です.

 この問題を考えるときに参考になるのが最近,刊行された下記の邦訳書です.

 L・ウォラック・M・ウォラック (著) 「心の七つの見方」
(岡隆訳,新曜社,2016)

 
      


 以下,同書の目次です.

L・ウォラック・M・ウォラック (著) 「心の七つの見方」
(岡隆訳,新曜社,2016)

はしがき
序:問題
第一章 物理的世界とは異なるものとしての心
・デカルト学派の混同と超常現象
・自由意志はどうか
・創造性はどうか
・機械に意識はあるか
・意識的経験は私的ではないか
・意識的経験は本当に脳の状態か
・簡潔に言うと

第二章 話し方としての心
・心的原因はあるか
・私的で内面的な心的実体はあるか
・心的実体から心的過程へ
・二つの甘い誘惑
・心の謎は消えたか
・簡潔に言うと

第三章 行動としての心
・伝統の誕生
・苦境にある伝統
・スキナーの方法
・不穏な情況
・意識
・条件づけで十分か
・簡潔に言うと

第四章 頭の中のソフトウェアとしての心
・デジタル・コンピュータの定義
・デジタル・コンピュータとしての脳
・意識や感情や意味はどうか
・考えることや問題を解決することはどうか
・簡潔に言うと

第五章 脳としての心
・幻の原因としての意識的意図
・脳は表象することができるか
・ニューラルネットワーク
・意識的経験
・その問題は解消した
・脳の記述は心的な言葉に取って代わりうるか
・簡潔に言うと

第六章 科学的構成概念としての心
・操作的に定義できる理論的構成概念
・本当に科学的な概念か
・法則的原理か
・反証不可能な原理
・反証不可能な導出仮説
・妥当で反証可能か
・法則がすべてとは限らない
・簡潔に言うと

第七章 社会的構成概念としての心
・心性の文化的解釈
・自分自身の心的状態
・行動は曖昧である
・解釈とその仮定
・船とクモの巣について
・簡潔に言うと

終章 心を(完全に)見失うことなく二元論を避ける方法
・七つの見方を要約すると
・問題に戻ると
・二元論なしでやっていく
・締めくくりに

2016年11月24日 (木)

ライゼン記者による報道「米テロ戦争の暗部に沈んだ1人の拷問犠牲者」:心理学的拷問の実際

 2001年にアメリカを襲った9.11同時多発テロの後に,テロ容疑者の尋問のためにブッシュ政権が認可して行われた「心理学的拷問」は,自由と人権を重んじてきたアメリカ社会の歴史を画する衝撃的事件でした.

 たとえ敵であっても,戦争捕虜を人道的に処遇してきたアメリカ的理念が失われてしまった,という印象を世界の多くの人々に与えました.
 第2次大戦で捕虜になった日本兵やドイツ兵を良心的に扱ったことが,戦後に日本や西ドイツが親米国になった一因だったと考えられます.
 しかし,9.11後の「対テロ戦争」では状況が一変しました.心理学者がこの問題に深く関与した事実は今後,長くアメリカ史に記載されることでしょう. 

 精神科医や医師が行わなかったテロ容疑者への過酷な尋問を,当局の求めに応じて心理学者が行ったため,アメリカ心理学の倫理的正当性が疑われるようになりました.

 対テロ戦争における心理学的拷問とアメリカ心理学会(APA)の加担の実態を解明するために,国際赤十字や「社会的責任を果たす医師団」のような人権NGOや新聞記者などのジャーナリスト,拷問に反対してAPAに倫理指針の変更を求める活動を行った心理学者らが,大きな役割を果たしました.

 ニューヨーク・タイムズ紙のジェームズ・ライゼン記者は,最も大きな役割を担ったひとりです.



過酷尋問による心身の障害

 ライゼン記者がこの問題を取材した記事「米テロ戦争の暗部に沈んだ1人の拷問犠牲者」が最近,朝日新聞デジタル版に掲載されました.
 ニューヨーク・タイムズ紙から邦訳され,転載されました.

 CIAに雇用された2名の軍事心理学者が作成した「強化尋問技法」によるテロ容疑者への「過酷尋問」の悲惨さが,濡れ衣を着せられてCIAが米国外に設営した秘密拘禁施設で拷問を受けた被害者の証言にもとづいて報告されています.

 裁判所による逮捕令状など公正な法的手続きを経ずに不意に拘束され,訳の分からないままに国外の秘密施設に送られ,長期にわたって苛烈な尋問(拷問)が行われたことに驚きを禁じ得ません.

 被害者は今も重度のPTSDに苦しみ,生活を破壊されてしまいました.
 

 下記のサイトでこの記事が公開されています.
 「米テロ戦争の暗部に沈んだ1人の拷問犠牲者」
     http://digital.asahi.com/articles/ASJBM3JP5JBMULPT001.html

 記事の中で,国防総省から尋問を請け負った軍事会社を被害者が訴えて裁判が始まった,と報道されています.
 尋問を受託した企業はアメリカ軍出身の2名の軍事心理学者が設立したものです.彼らは「学習性絶望感」をモデルとして「強化尋問技法」を開発し,自ら過酷尋問を行いました.

 2014年12月にアメリカ上院のインテリジェンス特別委員会が公表したCIAによる過酷尋問に関する報告書に,この2名の心理学者の活動が詳細に記述されました(ファインシュタイン報告書).
 日本でも2年前に主要なメディアで,「CIAの拷問は効果なし」といった見出しをつけて報道されました.覚えておられる方もいることでしょう.
 しかし心理学者が尋問の技法を開発して、自らアルカイダ幹部などに尋問を行ったことは,私の知る限りでは,日本のマスコミでは報道されなかったようです.北米ではマスコミによって多くの公衆がこの事実を知りました。

 M.セリグマンやJ.マタラゾらの著名心理学者(元APA会長)やAPA幹部が,過酷尋問が立案・実施される過程で協力したことが,後に明らかになりました(ホフマン報告).
 国防総省がガンタナモ収容所などに配置した「行動科学コンサルテーションチーム」によるテロ容疑者への過酷尋問でも,心理学者が主要な役割を担っていることが,ジャーナリストや人権NGOの調査によって明らかになりました.
 アメリカ心理学の根幹が揺るがされる大問題になったのです.

 ライゼン記者がインタビューした同じ被害者について,AJ+ の下記のサイトが動画を用いて報道しています.心理学的拷問に用いられた技法や,これを開発した軍事心理学者も登場します.
  https://www.facebook.com/ajplusenglish/videos/720211424787034/


「いくらでも支払う:強欲と権力と終わりなき戦争」

 ライゼン記者はイラク戦争とテロ対策に伴う米政府による市民への監視の強化に関する報道でピューリツアー賞を2度受賞した,この領域を代表するジャーナリストです.

  2014年10月,同記者は「Pay Any Price:Greed, Power, and Endless War(いくらでも支払う:強欲と権力と終わりなき戦争), Mariner Books,2014」を刊行しました.
 この本はテロ対策のために米政府が支出した莫大な予算が,私的利益を追い求める人々の「強欲」と結びついて引き起こされた様々な不幸や理不尽を,具体的な事例に即して報道しています.

 同書の一章でライゼン記者は,APA幹部職員とCIAや国防総省,ホワイトハウスの職員の間で交わされた多数の電子メールをもとに,テロ容疑者に対する拷問がブッシュ政権と情報機関と国防総省,アメリカ心理学会の中枢が協働して実施されたことを明らかにしました.

 この後,APA執行部は従前のように対テロ戦争における拷問への加担をただ否定したり,APAを批判する人を逆に非難したり,無視するだけでは済まなくなりました.
 APAはホフマン弁護士にこの問題の調査を委嘱し,今日に至る改革が始まりました.
 昨年7月に公開されたホフマン報告書は,APA執行部がテロ容疑者への過酷な尋問を求める政府に協力してきたことや,その事実を隠ぺいしてきたことを認定しました.

 その後,APAの最高執行責任者(CEO)やCEO代理,倫理部長,広報部長など長年の間,APAの運営を担ってきた幹部職員がAPAを去りました.
 APAは今も改革の途上にあります.


『戦争大統領:CIAとブッシュ政権の秘密』(ライゼン著,毎日新聞社,2006)

 オバマ政権は対テロ戦争を戦う米政府を批判した政府職員などの内部告発者を厳しく処断し,情報漏えい罪やスパイ罪の嫌疑を掛け,告発してきました.

 ライゼン記者がイラク戦争を報道した記事の一部は,政府内の告発者がもたらした情報にもとづいて書かれたものでした.
 このため同記者も内部告発者を訴追した米政府の裁判の過程で,情報源の開示を裁判所から命じられました.

 ジャーナリストが自らニュースソースを明かすなら,ジャーナリストの基本倫理を侵すことになります.ライゼン記者は命令に従わず,オバマ政権によって刑務所に収監される危機に直面しました.

 オバマ政権が,市民の知る権利を守るために果敢な報道を行った記者を刑務所に収監するかどうか,全米の注目を集めるニュースになりました.
 アメリカにおける報道の自由を脅かす重要な係争問題です.
 最終的にオバマ政権はライゼン記者を収監しない決定を下しました.

 この著名ジャーナリストがアメリカ心理学会のスキャンダルを報道し,心理学者の拷問への加担が広く社会に知られるようになりました.
 幅広い公衆が心理学に対して抱いているイメージが悪化してしまいました.

 10年前に刊行されたライゼン記者の著書『戦争大統領:CIAとブッシュ政権の秘密』(毎日新聞社,2006)は,9.11後の米政府機関による情報活動の杜撰な実態を報道しました.当時,各方面に衝撃を与えました.
 (この後,同記者はブッシュ,オバマ両政権によって,情報漏えい罪の嫌疑を掛けられることになりました.)

    表紙画像

2016年11月20日 (日)

トランプ政権でCIAによる「水責め」が復活?:心理学的拷問

 アメリカの次期大統領に選出されたD.トランプ氏の政権の発足へ向け,閣僚など政府高官の人事が進められています.

 トランプ氏は予備選のときから対テロ戦争における容疑者の尋問において,「水責め(waterboarding)」でも,それよりも過酷な尋問技法でも,自国をテロから守るために必要なら実施する,と主張していました.
 当ブログで以前,お伝えしました.
  「水責め」とアメリカ大統領選挙

   http://critical-psychology.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/index.html

 CIAによる過酷尋問の技法はアメリカ軍のSEREプログラムで,敵軍に捕捉された兵士が尋問に耐える訓練を行っていた心理学者によって開発されました.いわゆる「強化尋問技法」です.

 過酷さの程度の異なる各種の尋問技法を組み合わせ,パッケージ化された尋問プログラムです.ブッシュ政権の認可を得て「水責め」の技法も採用されました

 通常,尋問では用いられない「強化」された技法が用いられました.

 しかし常識的にみて,この尋問は拷問以外の何ものでもありません.被尋問者の心身の健康に重大な障害が生じ,尋問の過程で死亡した被疑者も報告されています.
 
国連の反拷問条約やジュネーブ条約などが禁止する拷問にあたるとして,アメリカの内外で激しい論争を呼び,拷問に反対する運動が巻き起こりました.
 第1次オバマ政権は過酷尋問は拷問だと認め,禁止しました. 

 心理学者が作成したため,CIAによる過酷尋問は「心理学的拷問」と呼ばれるようになりました.
 CIAがアメリカ国外に設置した秘密拘禁施設で,このプログラムを用いてテロ容疑者に尋問が行われました.強化尋問技法を開発した心理学者が自ら,アルカイダ幹部などに尋問を行いました.

 19日付の朝日新聞の報道によると,CIA長官に指名されたマイク・ポンペオ下院議員は「CIAによるテロ容疑者への「水責め」など過酷な尋問が明るみに出て,オバマ大統領が拷問中止を発表した際に,「(水責めを行ったのは)拷問者ではなく,愛国者だ」と主張した.「水責め」を復活させる可能性もある」とのことです.
 同氏は共和党系の草の根運動「ティーパーティー(茶会)」出身です.

 CIA長官の人事には連邦下院議会の承認が必要です.果たして共和党や民主党の下院議員はこの人事を承認するでしょうか?

 朝日新聞の記事を下記のサイトで読むことができます.
  「トランプ人事,強硬派3氏 イスラム敵視・「水責め」肯定」

    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12666810.html

2016年11月14日 (月)

アメリカ理論・哲学心理学会:ミッドウィンター・ミーティングが開催されます

アメリカ心理学と理論的,哲学的問題

 アメリカ心理学会(APA)の中に理論的,哲学的問題に関心をもつ研究者が集う専門部会があることを,ご存知でしょうか.

 APAには専門領域や研究主題に応じて下位部会が設置されています.設立の順に通し番号が付され現在,54の部会があります.
 日本の心理学界には専門領域などを異にする大小,多くの学会があります.それらがひとつの大きな学会の下で専門部会として位置づけられている,といったイメージです.

 APAの第24部会がアメリカ理論・哲学心理学会(
Society for Theoretical and Philosophical Psychology)です.
 1963年にアメリカ心理学会の24番目の専門部会として設立されました(http://www.theoreticalpsychology.org/
).

 前世紀を通して今日まで「科学的心理学」が重んじられてきたアメリカ心理学会の中に,理論的,哲学的問題を主題とする専門部会が設けられていることは意外だ,と思われるでしょうか.

 北米の心理学者の間では1950年代になると,新行動主義的アプローチに依拠して「行動の一般理論」を目指していた「理論の時代」の終りが自覚されるようになりました.
 このため研究方法論にかかわる諸問題に改めて関心が高まりました.
 また,第二次大戦後に実存主義など,ヨーロッパの新しい哲学に関心をもつ心理学者も現れました.
 こうした事情が心理学の理論的,哲学的問題を専門とする新しい部会の設立を促しました.

 同学会が刊行する公式ジャーナルが
The Journal of Theoretical and Philosophical Psychology です.

 また,同学会のメンバーによって,The Wiley Handbook of Theoretical and Philosophical Psychology: Methods, Approaches, and New Directions for Social Sciences  が昨年,刊行されました.北米における理論心理学的研究の動向を,このハンドブックから知ることができます.


ミッドウインター・ミーティング
 アメリカ理論・哲学心理学会は例年,8月に開催されるアメリカ心理学会年次大会でシンポジウムや個人発表を主催しています.
 これに加えて,冬季に「ミッドウィンター・ミーティング」と銘打って,独自に学術集会を開いています.
 毎回,一つのテーマを掲げ,APA年次大会よりもカジュアルで近しい雰囲気の中で活発な討議が行われています.

 次回の
ミッドウィンター・ミーティングは来年3月10日から12日まで,リッチモンド市(バージニア州)で開催されます.
 メインテーマは,
「研究と教育と心理臨床において哲学的心理学を実践する」です.
 
発表申し込みの締切は,12月15日です.

 詳細は下記のサイトをご覧ください.
  
https://drive.google.com/file/d/0B_3dWFfM46u3RjVfZUlDTVdJSG8/view



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