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2018年8月

2018年8月31日 (金)

アメリカ心理学会と軍事心理学:グアンタナモ収容所における心のケア

「国家安全保障の尋問」が明らかにしたアメリカ心理学会の混迷

 2015年8月,アメリカ心理学会(APA)は「国家安全保障に関する尋問」に同会員が関与することを禁止しました.

 2001年にアメリカを襲った9.11同時多発テロの後,米政府の軍事情報当局がテロ対策のためにテロ容疑者に「過酷尋問」を行いました.
 軍事心理学者やAPA幹部がそれに加担したことが,人権NGOやジャーナリストの調査やホフマン報告によって明らかになりました.
 APAの一般会員や北米社会の世論の批判を受け,2015年7月にAPAの最上級職員が辞職し,翌月,
APA代議員会は倫理指針を改訂して国家安全保障に関する尋問への加担を禁止しました.

 ホフマン報告書は,過酷尋問への加担を隠蔽し批判を抑えるためにAPA執行部が学会内部で各種の工作を行っていた事実も認定しました.
 良くも悪くも世界の心理学を主導しているAPAにおける,苛烈な学会政治の一端が明らかになりました.


APA代議員会にみる苛烈な学会政治

 同じ状況は現在も続いているようです.
 米政府の軍事情報当局における心理学者の役割を維持し拡大しようとするAPA内の勢力,「心理学的拷問」はなかったと主張する勢力と,APA幹部が過酷尋問に加担したことを批判し改革を求める勢力の間の対立や巻き返しを狙う活動が,7月以来,各種のメディアで報道された「グアンタナモの収容者の心のケアのための心理学者の再派遣」をめぐる問題の背景です.

 8月8日にこの問題を審議したアメリカ心理学会代議員会の模様を,バズフィードが報じています.

 「劇的な投票,心理学者がテロ容疑者を対象として仕事を行うプランを否決(In A Dramatic Vote, Psychologists Have Rejected A Plan To Allow Work With Terror Suspects)」
 
https://www.buzzfeednews.com/article/peteraldhous/apa-psychology-guantanamo-vote)

 バズフィードの報道によると代議員会において,国家安全保障に係る収容施設で心理学者が働くことを認める動議を提出した勢力(軍事心理学者とAPA執行部)が,急に採決の延期を求めました.採決せずに新たにこの問題を扱う委員会を設けようと提案しました.
 採決の結果,否決されることを恐れたようです.

 これに対して,
国家安全保障に係る収容施設で心理学者が働くことに反対する勢力が,採決の延期に反対する動議を提出しました.
 採決の延期に反対する動議は95対76で認められました(棄権1).

 その後,問題の動議が審議される段になると,動議の提案者(元APA会長)が会場からジャーナリストなど代議員ではない人を締め出し,秘密会とするよう求めました.(もともと代議員会は公開される予定でした.)
 しかしAPAの顧問弁護士が秘密会とする法的根拠はない,と助言し,審議は公開されることになりました.
 しかし,件の動議に賛成する演説を行うことになっていた軍事心理学者(国防総省所属)が,軍人である自分は公開の場では発言できないと主張し,以後の審議は秘密会となったそうです.


 採決の結果,賛成57,反対105,棄権15の得票により動議は否決されました.



今後も続く分断の影響
 7月に明らかになった今回の問題は,軍事心理学者(おもに国防総省に所属する臨床心理学者)とAPA執行部が,ホフマン報告の後に為された改革に対して巻き返しを図った事例のひとつだと考えられます.

 2015年7月に公開された同報告書とその後のAPA倫理指針の改定に反対する勢力は,一般に考えられている以上に強大なようです.

 否決されたとはいえ3年後に再度,倫理指針を改定する動議がAPA理事会の支持を得て代議員会に付されたことは,この間になされた改革がAPAの有力者たちの本意ではないことを示しているのでしょう.
 この動議は代議員の3分の1の支持を集めました.3年前には軍事心理学部会の代議員を除くと,支持する代議員はいませんでした.
 「グアンタナモの収容者に心のケアを行わないのはジュネーブ条約に違反する」という主張は,相当数の代議員に通じたようです.

 来年か再来年か,あるいは3年後か,今回と同じようにAPA代議員会で倫理指針の変更を目指し,あるいは他の仕方で「国家安全保障に係る収容施設」で心理学者が活動することを認めるよう学会政治が繰り広げられるのではないでしょうか.

 アメリカの心理学者にとって,国防総省は研究資金を支給し多くの雇用をもたらす重要なカウンターパートです.同省も軍事的目的の遂行や組織の維持のために心理学を必要としています.
 国防総省など政府当局の要請に応えれば,さらなる心理学の職業的発展が期待できます.
 こうした事情が「グアンタナモ収容所に拘留されている容疑者に心のケアを提供すべきである」と主張する人たちを動機づける一因だと思われます.

 トランプ政権が成立して以来,グアンタナモ収容所のような米国外の軍事基地でのテロ容疑者の超法規的な拘束や,水責めを含む「過酷尋問」を容認する政治的状勢が強まりました.現在の国務長官は過酷尋問を支持し,CIA長官はブッシュ政権下で過酷尋問を実際に指揮していました.いずれもトランプ大統領が指名しました.
 この米国の政治的状勢がアメリカ心理学会の倫理指針の再改定を求める活動に影響している,という指摘もあります.

 APAの内部での政治的駆け引きも,今後も続きそうですね.


 ホフマン報告書をアメリカ心理学会のウェブサイトから削除する動議は,同報告書をウェブサイト内の独立したページから除き,倫理に関す問題の展開を示すページの中に入れるものとして採決されたようです.
 以前のように外部から直接,ホフマン報告書にアクセスできなくなりました.同報告書に異議を唱える勢力が一定の勝利を収めたのでしょう.
 現在では下記のウェブページをよく探すと,報告書を見いだすことができます.
 Timeline of APA Policies & Actions Related to Detainee Welfare and Professional Ethics in the Context of Interrogation and National Security
(http://www.apa.org/news/press/statements/interrogations.aspx)




 ニューヨークタイムズやサイエンス誌などによる下記の報道もあわせて参照してください.

 ニューヨークタイムズ
  「心理学者は軍の収容施設での活動することを禁止する指針を変更せず(Psychologists’ Group Maintains Ban on Work at Military Detention Facilities)」
 (https://www.nytimes.com/2018/08/09/health/interrogation-psychologists-guantanamo.html?smid=tw-nythealth&smtyp=cur)

 「サイエンス」誌のニュースサイト
 「軍事的抑留者を処遇する規則を変更しようとするアメリカの心理学者たち(U.S. psychology group set to modify rules on interactions with military detainees)」
 (http://www.sciencemag.org/news/2018/07/us-psychology-group-set-modify-rules-interactions-military-detainees)

 バズフィード
 「心理学者たちの拷問報告書に関する汚い争い(Psychologists Are In A Nasty Fight About A Report On Torture)」

 (https://www.buzzfeednews.com/article/peteraldhous/psychology-torture-guantanamo-interrogation)

2018年8月10日 (金)

アメリカ心理学会代議員会がグアンタナモ収容所への心理学者の再派遣を認める動議を否決しました

 8月8日にサンフランシスコで開かれたアメリカ心理学会代議員会において,アメリカの軍事・情報当局が設営する捕虜やテロ容疑者の収容施設で,国防総省やCIAに所属する心理学者が活動することを認める動議が否決されました.

 ニューヨークタイムズも速報しました.

 「心理学者は軍の収容施設での活動することを禁止する指針を変更しない(Psychologists’ Group Maintains Ban on Work at Military Detention Facilities)」
 (https://www.nytimes.com/2018/08/09/health/interrogation-psychologists-guantanamo.html?smid=tw-nythealth&smtyp=cur)


 グアンタナモ収容所など,収容者の虐待や人権侵害が懸念される施設に再び心理学者(APA会員に限られます)を配属する施策(国防総省やAPA軍事心理学部会が求めています)は,多数の賛同を得られなかったようです.
 上の動議に賛成する票が32.9%,反対票は60.7%,棄権票が6.4%だったそうです.

  国際赤十字など米国防総省とは独立した団体が収容者の健康のために心理学者を派遣することは,現在もAPA倫理指針によって認められています.
 アメリカ心理学会(APA)の代議員会は,心理学の諸領域を探究する専門部会と北米と近隣の諸地域を代表する地域部会,APA理事会メンバーによって構成されます.同学会の運営を司る最高決定機関です.

 7月初旬に私が今回の問題を初めて聞いたときには,この動議がAPA代議員会によって採択されるかもしれない,という声を耳にしました.
 代議員会は理事会など執行部が主導する運営チームによって司会進行されます.代議員会に提出される動議はすでに理事会の承認を得ています.
 その動議はAPA内の各種の委員会で専門家が時間をかけて討議し,そうするのが妥当だという資料を添えて提議されます.

 APA代議員会の代議員を務めた経験をもつ知人の話では,執行部が提出した動議に反対するのは容易ではないそうです.
 専門家が正しいと認め,証拠とともに提議している事案に,非専門家が反対するのは困難なことです.
「専門家でないくせに反対するのは,専門家の倫理に反している」という非難を招くおそれもあります.
 
1,2日の短い会期の間に多数の議事が組まれているため,よく考えて討議する時間もありません.
 こうしたことからAPA理事会が承認した事案は通常,APA代議員会でも承認されます.

 今回,APA理事会が採択した動議が代議員会で否決されたのは,「心理学的拷問」が再び行われる危険性に多くの代議員たちが懸念を抱いていることを示しているのでしょう.

 この数週間,アメリカ自由人権協会(ACLU)やアムネスティ・インターナショナル,人権のための医師団,ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体や拷問被害者の治療にあたる専門家が声明や公開書簡を発表し,APAとAPA代議員に上記の動議を承認しないように働きかけてきました.
 拷問に反対するAPA会員も懸命に活動していました.

 こうした声が代議員たちを動かしたようです.



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