カテゴリー「心と体」の記事

2017年10月 7日 (土)

「国際応用精神分析スタディーズ」誌の特集号:アメリカ心理学会と対テロ戦争における拷問

 2001年にアメリカを襲った9.11同時多発テロの後,アメリカ政府は「テロとの戦い」を開始しました.
 テロを防ぐためにCIAなどの情報機関は,テロ情報を知っていると考えられた容疑者への尋問をいっそう重んじるようになりました.
 通常の尋問で許されない,心身に激しい苦痛を与える「強化尋問技法」を用いた「過酷尋問」が行われました.

 CIAがアメリカ国外に設置した「秘密収容施設(ブラック・サイト)」に,テロ容疑者が国境を越えて「超法規的移送プログラム」によって秘密裡に送られ,CIAが雇用した軍事心理学者が過酷尋問を行いました.
 戦争捕虜の人道的処遇を定めたジュネーブ条約や国連拷問禁止条約に違反する「アメリカ史の汚点」だ,と人権NGOやジャーナリストが批判の声をあげました.
 第2次大戦で捕虜になった日本兵やドイツ兵を人道的に処遇するなど従来,アメリカは戦争捕虜の人権を擁護する国として知られていました.

 しかし対テロ戦争において,CIAや国防総省によって組織的に過酷尋問が行われました.チェイニー米副大統領(当時)らホワイトハウス指導部が,テロ容疑者への過酷尋問によってテロ情報を収集し,テロを防止する施策を求めていました.
 このため心理学者が開発した強化尋問技法による過酷尋問は,「アメリカ政府が認可した拷問」と呼ばれるようになりました.
 長年,自由や人権を重んじてきた「アメリカの建国の理念」が,国際社会で疑われる事態を招きました.

 CIAや国防総省などアメリカの軍事・情報当局がテロ容疑者への過酷尋問を立案し実施する過程で,アメリカ心理学会が重要な役割を果たしました.
 2003年3月にイラク戦争が始まりました.同年11月,キューバに米軍が設営するグアンタナモ基地内の収容施設で,捕虜やテロ容疑者が過酷な処遇(拷問)を受けている,という国際赤十字の調査報告書についてニューヨーク・タイムズが報道しました.
 臨床心理学者や精神科医などを構成員とする「行動科学コンサルテーションチーム(BSCT)」が,グアンタナモ収容所における過酷尋問に関与している,と報道されました.

 捕虜や容疑者への拷問に対する批判が高まると,アメリカ医学会やアメリカ精神医学会は拷問を拒否する方針を明確に示しました.
 一方,アメリカ心理学会幹部が国防総省やCIAに協力して「国家安全保障に関する尋問」に加担した事実が,マスコミ報道によって次第に明らかになりました.
 北米社会において心理学者とアメリカ心理学会への信頼が揺るがされることになりました.

 「国際応用精神分析スタディーズ」誌(International Journal of Applied Psychoanalytic Studies)が,この問題を論じた特集「アメリカ心理学会と対テロ戦争」(Special Issue: The American Psychological Association and the War on Terror)を刊行しました.

 下記のサイトで公開されています.12月末までオープンアクセス期間です.
  http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/aps.v14.2/issuetoc

国際応用精神分析スタディーズ誌(International Journal of Applied Psychoanalytic Studies)
特集「アメリカ心理学会と対テロ戦争」(Special Issue: The American Psychological Association and the War on Terror) 2017年6月

 特集号が収録する論文のタイトルを下にお示しします.
1.アメリカ心理学会:罪の免責から恥辱へ    (Ghislaine Boulanger)
2.アメリカ心理学会と拷問:どのようにして拷問が行われたのか? (Bryant Welch)
3.虚偽情報による攪乱,裏切り,子取り鬼(boogeyman):アメリカ心理学会と「心理学の倫理と国家安全保障
(PENS)に関する会長特命委員会」と拷問に加担した心理学者についての個人的考察     (Nina K. Thomas)
4.尋問の文化:グアンタナモ収容所の抑留者の監察評価    (Sarah Schoen)
5.クローゼットの中の骸骨:アメリカ心理学会の批判的検討    (Jeanne Wolff Bernstein)
6.反革命    (Frank Summers)

2017年10月 4日 (水)

批判心理学セッションと「批判心理学ハンドブック」(パーカー編,2015)

  (公社)日本心理学会 批判心理学研究会が企画した批判心理学セッションが1日,開かれました.

 世界の心理学ワールドの中での批判心理学の位置づけや,相模原事件とヘイトスピーチ,日本の精神科医療と福祉,ドイツ批判心理学などを主題とする話題提供に続いて,自由に意見交換を行いました.
 関西や東海地方からの参加者も加わり,大学院のゼミのように少人数での熱心な討論の場となりました.
 (批判心理学「セッション」はシンポジウムのようなフォーマルなかたちではなく,ジャズのセッションのように自由に討議し知的刺激を与え合う場を目指しています.)

 次回の批判心理学セッションは12月に開かれる予定です.詳細が決まり次第,お知らせします.


 日本でも批判心理学への関心が高まりつつあります.
 心理学研究が発展し,心理学と心理学の産物である心理検査やセラピー,心と行動を説明する用語や理論などの心理学知識が社会の諸領域に浸透すると,心理学が抱えている問題も次第に明らかになります.

 そこから既存の心理学の研究や心理臨床,教育,社会的活動,学会活動,社会諸セクターでの応用などへの「批判」的取り組みが始まるのは,日本でも他の国・地域でも同じです.

  もし心理学が今日の日本で重要でないなら,たとえ深刻な問題を見いだしたとしても,わざわざ「批判」的な心理学を始める必要はありません.
 声をあげることなく,ただ心理学から立ち去ればよいでしょう.

 批判心理学者が心理学にあえて「批判的に取組む」のは現在,日本社会で生きる私たちにとって,心理学があまりに重要なものになったからです.
 こうした立場から批判心理学に取り組む心理学者が世界各地で,自分が見出した問題を解決するために活動しています.


 批判心理学の全体像を手軽に知りたい,という方に下記のハンドブックを推薦します.


 イアン・パーカー編 批判心理学ハンドブック ラウトレッジ社 2015
 (Parker, I. (ed.). Handbook of Critical Psychology, 2015, Routledge)

 主流心理学の諸領域への批判的アプローチや,批判心理学の新しい理論と方法,多様な批判心理学的実践の実際,世界の各地域における展開を手際よくレビューする諸章を収録しています.
 1章あたり10ページから10数ページと短く,読みやすいフォーマットで編集されています.
 初めて批判心理学を学ぶ方にお薦めです.北米やイギリス,ドイツなど特定の国・地域に偏った視点ではなく,幅広い視界を提示しています.執筆者は欧米とラテンアメリカ,アフリカ,アジアの各地の批判心理学者です.

 できれば日本語で読みたいですね.
 どなたか,日本語に翻訳しませんか?


 下に各章のタイトルをお示しします.邦題は当ブログ開設者による試訳です.

イアン・パーカー編 批判心理学ハンドブック 2015
1. イントロダクション  Ian Parker
第1部: 心理学とその批判の多様性
第1部a: 主流
2. 量的方法:科学の方法と目的  Lisa Cosgrove, Emily E. Wheeler & Elena Kosterina
3. 認知心理学:中産階級の個人から階級闘争へ  Michael Arfken
4. 行動主義:徹底的行動主義と批判的探究  Maria R. Ruiz
5. 感情:主流心理学を越えて  Paul Stenner
6. 生物学的心理学と進化心理学:批判心理学の極限  John Cromby
7. パーソナリティ:テクノロジー,商品,病理学  China Mills
8. 発達心理学:脱構築への転回  Erica Burman
9. 社会心理学:組織研究を論評する  Parisa Dashtipour
10. 異常心理学:さまざまな障害の心理学  Susana Seidmann & Jorgelina Di Iorio
11. 犯罪心理学:臨床的,批判的視点  Sam Warner

第1部b: 主流心理学を問うラディカルな試み
12. 質的方法:批判的実践と多様な領域の展望
13. 理論心理学:核心的問題の批判的哲学概説  Thomas Teo
14. 人間性心理学:批判的対抗文化  Keith Tudor
15. 政治心理学:権力への批判的アプローチ  Maritza Montero
16. コミュニティ心理学:主観性と権力と集団性  David Fryer & Rachael Fox
17. 組織心理学と社会問題:場所が位置づけられる地点  Mary Jane Paris Spink & Peter Kevin Spink
18. カウンセリング心理学:重要な成果と可能性と限界  Richard House & Colin Feltham
19. 健康心理学:ウェルビーイングと社会正義のための心理学を目指して  Yasuhiro Igarashi
20. ブラックサイコロジー:抵抗と再生と再定義   Garth Stevens
21. 女性心理学:ポリティクスと実践の諸問題   Rose Capdevila & Lisa Lazard
22. 「レズビアンとゲイの心理学」から「セクシュアリティの批判心理学」へ  Pam Alldred & Nick Fox

第1部C: サイ-コンプレックスの隣接領域 
23. 精神鑑定医と疎外:自分探しをする批判的精神医学  Janice Haaken
24. 心理療法:改革のエージェントか,修理屋か  Ole Jacob Madsen
25. 教育と心理学: ついに変化がおとずれるのだろうか?  Tom Billington & Tony Williams
26. ソーシャルワーク:抑圧と抵抗  Suryia Nayak
27. セルフ・ヘルプ: ポップ・サイコロジーとともに    Jan De Vos

第2部: さまざまな批判心理学
28. 活動理論:理論と実践  Manolis Dafermos
29. マルクス主義心理学と弁証法的方法  Mohamed Elhammoumi
30. ドイツ批判心理学:主体の立場からの心理学  Johanna Motzkau & Ernst Schraube
31. 精神分析が批判心理学に言うべきことは?  Kareen Ror Malone with Emaline Friedman
32. 脱構築:批判心理学の基礎  Andrew Clark & Alexa Hepburn
33. ドゥルーズ的視点:スキゾ分析と欲望のポリティクス  Hans Skott-Myhre
34. ディスコース心理学: おもな見解,いくつかの対立と2つの事例  Margaret Wetherell

第3部: 心理学と批判心理学に関するさまざまな立脚点と視座 
第3部a: さまざまな視座
35. フェミニスト心理学:研究,介入,課題  Amana Mattos
36. クイア理論:批判心理学を解体する  Miguel Rosell Pealoza & Teresa Cabruja Ubach
37. 解放の心理学:もうひとつの批判心理学  Mark Burton & Luis Gmez
38. 土地固有の心理学と批判的な抑圧から解放する心理学  Narcisa Paredes-Canilao, Ma. Ana Babaran-Diaz, Ma. Nancy B. Florendo & Tala Salinas-Ramos with S. Lily Mendoza
39. ポストコロニアル理論:批判心理学の世界へ向けて  Desmond Painter
40. 批判的ディザビリティ・スタディーズから批判的でグローバルなディザビリティ・スタディーズへ  Shaun Grech
41. 批判心理学のための政治的見識を備えた内在的スピリチュアリティ     Kathleen S. G. Skott-Myhre

第3部b:様々な地点
42. アフリカの批判心理学:不可能な課題  Ingrid Palmary & Brendon Barnes
43. 政治心理学とアメリカ大陸:植民地化と支配から解放へ  Raquel S. L. Guzzo
44. アラブ世界の批判心理学:パレスティナの植民地の文脈における批判コミュニティ心理学からの考察  Ibrahim Makkawi
45. アジアの批判心理学:4つの基本的概念  Anup Dhar
46.ヨーロッパの批判心理学の動向:心理学の常習的悪行への道  Angel J. Gordo Lopez & Roberto Rodrguez Lpez
47. 南太平洋:私たちの居場所の中にある空間の緊張  Leigh Coombes & Mandy Morgan

2017年9月12日 (火)

ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・ソーシャルサイコロジーの特集「急激な社会変動を理解する」

 ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・ソーシャルサイコロジーが,特集「急激な社会変動を理解する:新しい視点と方法」に掲載する論文を募集しています.
 同誌編集委員会から,論文の投稿を促すメールが届きました.

 この特集では特に,下記の3つの主題に関する研究が重んじられています.
・分離主義的事象(ブレクジットやスコットランドの独立問題など)と個人の心理学的転換と社会変動
・極端へと振れること(polarization)をどう説明するか
・どのようにして個人の内部の変化が社会変動へと結びつくか


 同誌はバリバリの主流心理学(客観的な科学的心理学)のジャーナルです.
 しかし,ときに実生活における重要な社会的問題・課題を取り上げています.

 EUからのイギリスの離脱や移民の増加に伴う諸問題,スコットランドの独立問題,トランプ現象の影響など,イギリスの社会心理学者にとって本来,重要な問題です.
 科学的心理学は社会問題や政治的問題から距離をおくべきだ,こうした問題に係れば,客観性や価値中立性が侵されることになる,という声も聞こえそうです.

 しかし,社会と個人の心や生活に大きな影響を与えている社会的事象を社会心理学が研究しないなら,その方が不自然です.
 同誌がこうした特集を企画するのは,主流心理学の変化を示すよい兆しといえるでしょう.

 論文の投稿を検討している場合は今月末までに,500語のアブストラクトを編集委員会に提出する必要があります.アブストラクトが審査され,投稿の可否が決められます.
 詳細は下記のサイトをご参照ください.
  
「急激な社会変動を理解する:新しい視点と方法(Understanding rapid societal change: Emerging perspectives and methods)」
  (http://onlinelibrary.wiley.com/journal/10.1111/(ISSN)2044-8309)

 現在,進行している急激な社会の変化を主題として,どのような新しい視点と研究方法が提示されるか,ワクワクします.
 日本社会で生活を送る私たちも近年,政治経済や外交問題など,様々な変化を経験しています.
 近い将来,これらを対象として社会心理学や心理学の専門誌が特集号を企画するようになるでしょうか?



2017年9月11日 (月)

BBCラジオの番組『良い心理学者,悪い心理学者』:テロ容疑者への「心理学的拷問」

 BBCのラジオ4が9.11同時多発テロの後,アメリカが戦う「テロとの戦争」において,心理学者が加担してテロ容疑者に行われた「過酷尋問(心理学的拷問)」を問う番組を放送しました.

 「良い心理学者,悪い心理学者(Good Psychologist, Bad Psychologist)」
 BBC Radio 4.8月30日に放送.
 この番組は下記のサイトで公開されています.
  
http://www.bbc.co.uk/programmes/b092fwzr

 2009年にオバマ米大統領(当時)が「我々は拷問を行った」と記者会見で述べた音声や,パキスタンでアルカイダ幹部を捕捉する作戦を指揮したCIA要員へのインタビュー,拷問を受けた被害者の肉声などが取り上げられています.

 「強化尋問技法」を開発してテロ容疑者に自ら過酷尋問を行ったアメリカの軍事心理学者も登場します.アメリカの法律家がこの技法による尋問は拷問ではないと認定した,だから自分は罪を問われない,と主張しています.

  強化尋問技法を支える理論になった「学習性無気力」と,この現象をイヌを被験体とする学習心理学実験を行って見いだし,理論化したアメリカの心理学者マーティン・セリグマンも取り上げられています.
 ポジティブ心理学の創始者として日本でも有名になりました.アメリカ心理学会会長を務め,存命する北米の心理学者の中ではもっとも著名なひとりです.

 また,アメリカ心理学会とアメリカの心理学者がテロ容疑者への過酷尋問に加担した実態を解明し,同学会会員が「国家安全保障に係わる尋問」に関与しないよう同学会の倫理指針を改訂する活動を行ったアメリカの心理学者も,インタビューに答えています.

 番組のタイトルに含まれる「良い心理学者」は彼(女)らを指しているのでしょう.「悪い心理学者」はもちろん,強化尋問技法を開発して尋問を行った軍事心理学者や,彼らに助言しサポートした心理学者たちです.

 30分足らずの短い番組ですが,対テロ戦争における心理学的拷問の争点を手際よく説明しています. (英語音声のみ)



2017年8月15日 (火)

批判心理学セッションのお知らせ

 批判心理学について気楽に,自由に討議する場を設けるため,「批判心理学セッション」を始めます.
 このセッションでは話題提供者の報告に続いて,参加者がテーブルを囲んで討論します.
 シンポジウムのようなフォーマルな仕方ではなく,より自由に語り合うという意味で「セッション」と名づけました.

 10月1日(日)に第1回のセッションを開きます.
 批判心理学に関心をおもちの方は気軽にご参集ください.


批判心理学セッション①  「批判心理学をはじめよう!」
日時:10月1日(日),午後5時から
会場:静岡大学東京事務所.同事務所は東京工業大学キャンパス・イノベーションセンター内,6階612号室です.(エレベータを出て左側正面)
話題提供1:五十嵐 靖博(山野美容芸術短期大学) 「世界の心理学の中の現代批判心理学運動」
話題提供2:いとう たけひこ(和光大学) 「相模原事件と批判心理学:向谷地生良の思想を手がかりに」
話題提供3:田辺 肇(静岡大学) 「批判心理学を教育に活かすには?:精神保健福祉史,心理学史,心理学論における」
話題提供4:百合草 禎二(主体科学としての心理学研究所) 「Ian Parker.ed., Critical Psychology: Critical Concepts in Psychologyを読む(その1)」
主催:(公社)日本心理学会 批判心理学研究会
アクセス:JR山手線・京浜東北線 田町駅下車 芝浦口徒歩1分
(http://www.cictokyo.jp/access.html).所在地 : 〒108-0023 東京都港区芝浦3-3-6※当日,建物玄関ロビー等に開催掲示はありませんので6階612号室までお越し下さい.


 批判心理学研究会はこれまで,日本心理学会大会や発達心理学会大会,国際心理学会議(ICP)などでシンポジウムを開いてきました.
 今世紀に入り世界の心理学界で批判心理学に対する関心が高まっています.気楽に発表して議論できる場が必要と考え,批判心理学研究会がこのセッションを設けます.
 今後,隔月で開く予定です.ふるってご参加ください.

 

2017年7月25日 (火)

『美女と野獣』と病理化,心理学化

『美女と野獣』と心を病む人のディスコース

 大ヒットした話題のディズニー映画『美女と野獣』(ビル・コンドン監督,エマ・ワトソン主演)を観ました.
 よくできたエンターテインメントですね.時間のたつのを忘れて楽しみました.

 以下,ネタばらしになるのですが,心理学史研究者や批判心理学者からみて興味深い場面がありました.
 ストーリーの展開のうえで重要なシーンで,主人公の美女が群衆によって「実在しない野獣をみたと主張する異常な人」と位置づけられ,「マッド・ハウス」に送られそうになります.
 大勢の人がいる街中で,無理やり外から鍵のかかる馬車に押し込められ,自分の意思に反して心の病を治療する施設に送られそうになるのです.

 
『美女と野獣』の原作は18世紀半ばにフランスで発表されたそうです.現代の心理学はもちろん,精神医学が登場する前の時代です.

 詳しい時代考証は他にゆずります.フーコーの『監獄の誕生:監視と処罰』(1975/1977)がこの問題を扱っています.
 上のシーンには「正常性の基準を逸脱した人(野獣という幻覚をみる人)は専用の施設で治療を受ける必要がある.本人のためにそうすべきである」,「当事者ではなく,社会や公衆がそれを決めることができる」というディスコースが現れています.
 それが社会に受け入れられ,「異常な人」を「マッド・ハウス」に移送する公的制度(鍵のかかる拘禁用馬車や御者兼看守)も整備されています.

 19世紀半ば以降,国民国家が形成され社会の近代化が強力に推し進められました.医療や教育や産業や司法,軍事,福祉などの諸領域で個人の心的な性質や能力を把握し管理しようとする動勢が強まりました.
 集団としての人間の平均的な性質が知られるようになると,平均から逸脱した人が「異常な人」として病理化されるようになりました.

 心理学化が始まった20世紀には,こうした病理化や異常化のツールとして心理学が生み出した検査や説明理論,専門用語が大きな役割を演じるようになりました.


心理学化と知能検査,異常化

 知能検査とIQはその代表的なものです.
 
トランプ米大統領が論敵や批判者を「IQが低い」と非難した発言がニュースになりましたが,この発言はIQが濫用されている一例です.

 日本でも戦後,障害児教育において通常の学校教育を受けるか「特殊教育」を受けるか,子どもを選別するツールとしてこれらが用いられ,関係者の間で悪名を馳せました.関心をおもちの方に下記の本をお薦めします.

  
日本臨床心理学会編 『心理テスト―その虚構と現実』 現代書館 1979
 

 もし映画の主人公の美女が20世紀以降の西洋型社会で生きていたなら,心理学者によって知能検査など,心的性質・能力を測定する各種の検査を受け,心理療法の介入対象になったかもしれませんね.

 20世紀初めにフランスで「精神年齢」という概念を考案し,測定する実用的な知能検査を世界で初めて作成したのは,アルフレッド・ビネ(1857-1911)です.
 精神年齢と生活年齢(実際の年齢)の比をとって知能指数として表示する方法を提唱したのは,ドイツのウィリアム・シュテルン(1871-1938)です.
 彼らはおそらく,知能検査やIQを被検査者を差別したり抑圧するために用いようとは,考えもしなかったことでしょう.
 彼らの後,アメリカで集団式知能検査が発展し,IQによって個人や特定の属性をもつ人の集団(民族や人種,ジェンダーなど)の知能を表示する研究が行われるようになりました.
 第2次大戦の後,日本でも学校教育において知能検査の結果,算出されたIQが子どもの「教育可能性」を科学的に表示するものとして用いられてきました.


 おそらく大多数の心理学者は社会の一員として善意や研究者の良識にもとづいて,研究や心理臨床や教育などの心理学実践を行ってきたのだと考えられます.

 しかし心理学者が行った研究実践によって,個人の心的な性質や能力を測定し表示する便利なツールが生み出されると,社会の様々な領域において人間を管理し統治するニーズに応えるために,それが適用されるようになります.

 心理学化を推進する主な要因は,こうした社会構造の中に含まれています.
 また,そうした社会の中で専門家として教育を受け研究などの心理学実践を行う心理学者は,疑いの余地のない与件として社会構造を自明視するようになりがちです.



 

2017年7月21日 (金)

原子力規制委員会と東電新経営陣の会議:ディスコース分析心理学者の視点

東電新経営陣の考えを聴いた規制委員会

 7月10日に原子力規制委員会が新たに先月,東京電力の会長や社長に選任された経営者を招いて,会議を行いました.
 同委員会の委員たちが東電の新経営陣に,
福島原発事故の賠償や廃炉,トリチウム汚染水の処理方法,柏崎刈羽原発の再稼働など喫緊の課題について,経営責任者の考えを問いました.
 その模様を新聞各紙が報道しました.


 「東電は福島と向き合ってない」 規制委長、新経営陣を批判」 朝日新聞
 http://digital.asahi.com/articles/DA3S13029559.html


 「「福島が原点、口先だけ」=東電新経営陣に批判続出-原子力規制委」」 時事通信
 http://www.jiji.com/jc/article?k=2017071000479&g=eqa


 「東電新経営陣 あきれ果てた発言」 福島民報
 
https://www.minpo.jp/news/detail/2017071343283

 「原発最前線 規制委vs東電新経営陣 意見交換初戦は東電惨敗 柏崎刈羽再稼働にも暗雲か」 産経新聞
 http://www.sankei.com/premium/print/170718/prm1707180002-c.html




 同委員会はこの会議をインターネットで公開しています.1時間30分ほどの動画です.

 第22回原子力規制委員会 臨時会議(平成29年07月10日)
 
https://www.youtube.com/watch?v=BN3ue81LrYM



ディスコース分析による原発事故の心理学的研究


 原子力規制委員会委員と東電経営者の対話や交渉は,ディスコース分析の立場から福島原発事故の問題に取り組む心理学者にとって,興味深い主題です.
 福島第一原子力発電所事故の損害賠償や廃炉の取り組み,トリチウム汚染水の処理(海への放出),柏崎刈羽原発の再稼働,「福島への責任」など重大な問題が,立場を異にする主体によって深刻な利害関心の影響下で交渉されています.

 ディスコース分析研究者からみると,
「原子力規制委員会」や「東電の新経営陣」,「国」,「福島県民」,「東電の現場社員」などの主体が各種の言語的,政治経済的,文化的リソースを用いてある特定のバージョンで措定され,位置づけられる(あるいは,位置づけようとする試みを妨げられる)プロセスが時系列的に提示されています.

トリチウム汚染水をめぐるせめぎ合い

 YouTubeで公開されている会議の動画をみると,福島第一原発で日々,たまり続けているトリチウム汚染水を海へ放出するよう同委員会委員が東電経営者に求めています.
 トリチウムにより深刻な環境汚染を招くという意見と,そうではないという意見が対立しています.また海が汚染され「風評被害」を悪化させる,と漁業者などが反対しています.
 この問題には主体や対象事物や言語によるそれらの諸バージョンによる位置づけ,その結果としての権利や義務の配分など,ディスコース分析が主題とする諸テーマが係わっています.

 トリチウム汚染水の処理方法について,東電会長らは国の判断を待っている,と応答します.
 規制委員会委員は,東電は「厳しい事実」に向き合っていないのではないか,福島県民にトリチウム汚染水を海へ捨てる以外に処理法がないことを伝えていないではないか,事故で生じた膨大な量の放射能汚染廃棄物をいずれ県外へ移送するというが,本当にそうできると考えているのか,とただします.
 東電の経営者たちは黙って聞くだけです.

 トリチウム汚染水をどのように処理するかは,福島原発事故の収束や廃炉のための作業において,最も切迫した重要課題のひとつです.同委員会委員たちはこの問題を東電が主体的に解決するべきだ,と迫ります.国の判断を待ち,それを理由としてトリチウム汚染水を海へ放出するのでは遅すぎる,と主張しています.
 規制委員会と東電,国,福島県民などの主体は利害や立場を異にしており,汚染水の処理という対象事物について異なった立場を取っています.
 それぞれの主体が自分や他者をある特定の仕方で位置づけようと試みる過程を,同委員会委員と東電経営者たちのやりとりに見ることができます.特定の仕方で位置づけられると,主体はそれに応じた義務や権利を配分され,実生活が変わることになるのです.

 福島事故の賠償費用を捻出するなど,「福島への責任」を果たすために柏崎刈羽原発を再稼働する必要がある,と東電が主張します.「福島事故を起こした東電が,新たな体制の下で原発を稼働できることを示す必要がある,そうすることで福島事故のために原子力発電に向けられた不安に応えることができる」といった趣旨の発言を東電会長が行います.(同会長は日立製作所名誉会長から転出しました.)
 同委員会委員は被災県民が再稼働を望んでいるとは考えられない,被災地の声を聞いているのか,と応じます.
 (この日の会議の後,東電会長はトリチウム汚染水の海洋への廃棄を行う,と発言しました.大きく報道され,福島の地方自治体関係者や原子力規制員会などが東電会長の発言にそれそれの立場から応答しました.)


 主体や対象事物,現実の集合的構成,主観性や実生活における行為の選択への作用など,心理学が取り組むべき研究主題をここにみることができます.

  原子力規制委員会と東電経営者が行なったこの会議に,福島原発事故や原発の再稼働に関する現在の最前線の問題(の少なくとも一部)が現れています.

 心理学でもディスコース分析は多様なしかたで実践されています.
 私が採用しているディスコース分析の方法論は,下記に述べられています.

 イアン・パーカー著 第6章 ディスコース分析 『質的心理学研究法入門:リフレキシビティの視点』,新曜社,2008

2017年7月 1日 (土)

トランプ大統領が「IQが低い」と女性TVキャスターを非難しました

 アメリカのトランプ大統領がTwitterで女性TVキャスターを非難しました.

 MSNBCの朝の人気番組『モーニング・ジョー』のキャスターを務めるミカ・ブレジンスキー氏について,
  「IQが低くて頭がおかしい」,
  「美容整形のシワ取りで顔から血を流していた」,
  「視聴率の悪いモーニング・ジョーが,私を批判しているようだ(もう見ていないが).なぜならIQが低くて頭がおかしいなミカが,サイコパスのジョーと一緒に」,
などと,続けてツイートしました.

 ハフィントンポストが報道しました.
  トランプ大統領が女性キャスターを罵倒「IQが低くて頭おかしい」(ハフポスト日本版,6月30日)
  (http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/30/trump-tweets-sexist-attack-morning-joe-host_n_17341082.html)
 
 この記事によると,「トランプ氏のTwitter攻撃は,番組の共同司会者であるジョー・スカーボロ氏が,レックス・ティラーソン国務長官に対するホワイトハウスの姿勢を非難したことに端を発している」とのことです.
 当ブログで以前,トランプ大統領が特定の個人を非難するときに「IQが低い」という表現を用いている例を記しました.
  トランプ米大統領のIQとIQテスト:理論心理学の視点
  (http://critical-psychology.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/iqiq-a72a.html)
 
 今回も同じ言い方です.
 トランプ氏にとって「IQ」という心理学的所産は日常的に用いる「自然な存在」になっているようです.
 「IQ」も「サイコパス」も心理学を代表とする「心の学問」が生み出した心理学知識です.
 この二つの言葉・概念が政治的,経済的に強者の立場にあるトランプ氏が特定の個人を攻撃するために用いられていることに,批判心理学や理論心理学の立場から,強い懸念を覚えます.
 心理学が幸福や福祉の増進のためではなく,統治や管理のために用いられる一例です.

 今,イギリスに滞在しているのですが,BBCテレビの情報番組が繰り返し報道しています.
 こうした報道によって「IQ」という心理学知識が,いっそう広く普及していくのでしょう.
 心理学化がもたらすものと,その進行の過程をここにみることができます.

  下記の毎日新聞の記事も,この問題を報道しています.
  女性差別発言に非難の嵐、与党も反発
  
(https://mainichi.jp/articles/20170630/k00/00e/030/241000c)
 
  大統領に懇願、キャスターに要求 醜聞記事で
  
(https://mainichi.jp/articles/20170702/k00/00m/030/076000c)
 
 

2017年6月26日 (月)

心理学的拷問を行った心理学者と被害者,CIA高官の宣誓供述ビデオ

 9.11同時多発テロの後,アメリカが主導する「テロとの戦争」において,テロ容疑者に「過酷尋問」を行った米空軍出身の2名の心理学者を対象として,拷問を受けた被害者と遺族が被害の賠償を求めて裁判を起こしました. 

 ニューヨークタイムズ紙が6月23日の社説でこの問題を取り上げています.
 「拷問者は語る(The Torturers Speak)」

(https://www.nytimes.com/2017/06/23/opinion/cia-torture-enhanced-interrogation.html?action=click&pgtype=Homepage&clickSource=story-heading&module=opinion-c-col-left-region&region=opinion-c-col-left-region&WT.nav=opinion-c-col-left-region&_r=0)

 上記のサイトでCIAに雇用されて「強化尋問技法」を開発し,アルカイダ幹部に自ら拷問を行ったブルース・ジェッセン博士とジェームズ・ミッチェル博士のビデオによる宣誓供述が公開されています.二人はアメリカ空軍でパイロットなどが敵軍に補足され尋問を受けた場合に備えて対策を教えるSEREプログラムの教官を務めた臨床心理学者です.
 ジェッセン博士が公の場で心理学的拷問について発言するのは初めてだと言われています.

 拷問を受けた被害者と拷問により死亡した被害者の遺族の宣誓,2名の心理学者の上司だったCIA高官(元CIA尋問センター長)の宣誓も見ることができます.
 
 2名の心理学者は彼らが行った「強化尋問」は被尋問者に深刻な被害を生じなかった,アメリカで核爆弾によるテロが起こるのを防ぐためにテロ情報が必要だった,などの主張を展開しています.
 被害者のひとりが,尋問とその被害の実態を証言している途中で当時を思い出したのか,急に泣き崩れる場面が記録されています.
 
 対テロ戦争におけるテロ容疑者への拷問は,アメリカ史に残る汚点だ,とニューヨークタイムズ紙の論説記事が指摘しています.
 この問題にかかわる多くの人物の中で,裁判で責任を問われているのは2名の心理学者だけです.


 今後,裁判のゆくえが注目されています.

2014年10月 9日 (木)

心理学と身体:『質的心理学フォーラム』誌の特集 「実践する身体」(2011)

 心とは何か,心と身体はどのような関係にあるのか,という古くからの哲学的問題を別にしても,心理学にとって身体が重要なことは言うまでもありません.

 心理学は心を研究する学問なのだから,身体に注目しないのは当然だという意見もあります.しかし身体の影響や機能などを考慮せずに,心を深く理解できないことは明らかです.

 実験心理学などアカデミックな心理学の領域で長く主流の座を占めてきた北米の認知行動主義的アプローチは,身体をめぐる問題を重んじてきませんでした.
 しかし,これが「唯一の正当な心理学的アプローチ」ではありません.
 ヴィゴツキー理論に基づいてソーシャルセラピーを実践するホルツマンは北米主流心理学の哲学的特徴として心と身体を,感情と認知を,自己と他者を,個人と集団を,人と環境を,発達と学習を,思考と遂行を,理論と実践を二分する発想をあげ,
新たな視座を得るにはこの二元論を克服しなければならないと述べています(Holzman,2012).

 その一方,人文社会科学の諸領域では1980年代以来,人工知能研究や新興の認知科学などとの交流の中で身体は新たな関心の的になってきました.

 心理学では直接,身体に焦点をあてるアプローチは盛んではありません.しかし,『質的心理学フォーラム』誌第3号(2011)の特集「実践する身体」は,質的研究の立場からこの問題に取り組んでいます.
 今日の日本の心理学者による取り組みの一例を示す意欲的な論文集です.

 この特集に掲載された論文を下記のサイトからダウンロードできます.
  http://www.jaqp.jp/forum/forummokuji/

 引用文献
 Holzman,L. (2012)   The methodology of social therapy: Marx and Vygotsky.
質的心理学フォーラム,4, 119-123. (http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AA12555460/ISS0000490731_ja.html)


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